NPO法人「山に生きる会」中間報告
山住古道
山に生きる会では、今年度、山住古道を整備したそうだ。
昔、城西小学校の遠足で、この山住の道は歩いたことがある。
たしか、家康腰掛の岩などがあったのを覚えている。
竜頭山スーパーマラニックのときに、河内浦(こうちうら)の 鳥居の所を覗いてみたが、昔の面影もなく朽ちていたような気がするが、整備してくれたのだナ~。
来年の「竜頭山スーパーマラニック」のときには、山住からの下山は、この山住古道を利用しよう。きっと昔の思い出が蘇るだろう。
水窪警察署長の挨拶があった。
平成28年度の「水窪100山」入山リスト
池の平登山口、城光寺山登山口、麻布山登山口、門桁ゲート、戸中山ゲート、奈良代山ゲート、権現橋ゲート、青崩峠登山口、それぞれの月別に入山者を記録してある。
「入山ポストに投函してあるこものだけだから、実際に山に入っている人は、この倍はいるだろう」
という話だった。
18時からは「忘年会」
山住古道の話が出た。古道の入り口に看板を建てよう。目立つように大きな立派なやつを。
水窪も佐久間と同じ高齢化している。
それでも、自分たちが立ち上がれなければと頑張っている。
そんな気持ちが伝わってくる。ビンビンと。
最後に、事務長から
「万歳三唱は、お前がやれ!」
と耳打ちされた。
「えっ」とは思ったが。
会の終わりに自分がみんなの前で
「水窪 山に生きる会が益々 発展していきますように・・・・・バンザ~イ」
を両手を上げた。
追記
私の暮らす北遠は、平成の合併で浜松市になった。
そのとき佐久間ではNPOを作り、私も活動委員として参加するようになっていた。
しかし、そこのNPOは、理事長とは事務長とは、水窪の「山に生きる会」のような関係ではなかった。
まるで会社組織のような、お前はボランティア活動さえしていればいい。そんな感じだった。
今、そのNPOではアワビを手掛けていると新聞で報道されている。
どんな経緯だかわわからないが、佐久間に暮らす者として、心配でならない。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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