飯田線は愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶJR東海の鉄道路線である。
今年の豪雨災害で水窪駅・平岡駅の間に被害があり運行を見合わせていた。
静岡県側は水窪駅までの運行であった。
(※平日のみ、水窪~大嵐間に朝夕1往復ずつ臨時運転)
国道152号線は、静岡県浜松市から、長野県茅野市を経由して上田市に至る一般国道である。
この国道も、今年の降雨で災害があり浜松市の天竜区は分断されている。
未だ復旧の目途はない。
佐久間町が浜松市に合併するときに、佐久間町の職員が私たちの暮らしている地域に説明にきた。
静岡市に合併した井川地区の道路その他の公共設備の修理されていない状況の写真を見せて、
「いずれ佐久間も、こうなるでしょう」と。
飯田縁はJR東海、東海旅客鉄道株式会社の管理下にある。
国道152号線は、政令指定都市浜松市の管理だ。
(静岡県側は)
飯田線は工事が終わり9月28日から全線開通した。
思ったより早い復旧だったと、地元にいて驚いた。
国道152号線も、早い復旧を地元に暮らす一人として・・・切にお願いしたい。
切にお願する→「祈るように願う」という意味
最近の休みは家のDIYですごしている。
一日ツルハシを握り、ツルハシを振り下ろしたり、コンクリを練ってコテでブロックに塗っていたりすると二の腕が痛くなる。
(いつも走ることが主なので腕の筋肉は無いのだナ~)
テレビはあまり見ないのだが「そこまで行って委員会」は面白くいろいろなことが学べるので時間があれば観るようにしている。
そこまで行って委員会
今回は、委員会メンバーを各大臣に任命し、任命された各大臣が提示した「政策」についての話し合いだった。
その委員会メンバーのある大臣が、のアメリカと中国の関係についての提案があった。
中国との付き合いをヤメ、民主主義のアメリカに着いていくべきだと。
その委員会メンバーの大臣の意見に賛同するかしないか意見を言う、そんな内容だった。
その時、ある女性委員会メンバーが言った。
「この番組に出ていると中国批判が多くある、そんなことに違和感を感じる」と。
結局、最後締めくくりは委員長の辛抱治郎さんが
「どちらの国とも上手に付き合いましょう」と締めくくったような。
国での関係も、個人的な人と人との関係も、上手に付き合わなけらばいけないのだ。
あの人とは意見が合わない、そう思っても、その場所に行かなければ何も解決にはならない。
そうそう忘れていた。
インパウンド
委員会の地方創生大臣が言っていた。
コロナが流行る前、中国の富裕層が日本を訪れ地方は潤った、インパウンド消費があがった、と。
それぞれ、その国の事情があると思う。
そこの国に暮らしている人は、そこの国で生きている。
私も、ココで生きている。
「inbound」インパウンドとは。
「inbound」は「in」と「bound」という単語の組み合わせで成り立っています。
「bound」とは、飛行機や電車などの交通機関の「〜行きの」という意味だそうです。
それに「in」に付随して「本国行きの」という意味。
この国家の品格での藤原先生の言葉
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」この三つの愛をしっかり持って「人類愛」と続くのだ。
インパウンド
様々な国を訪れ、様々な事を知り、自分を自国の事を考える。
大切なことだと思います。
海外旅行、行ったことないけど。
昨日は水窪のNPO山に生きる会の活動だった。
暑い中休憩の時に、水窪の昔の話に花が咲いた。
水窪には”もったいない”そんな文化がある。
炊いたご飯を食べるとき一粒残さずに食べるのが水窪の流儀だと。
ご飯を食べ終わって最後、茶碗をネブルとか。
そんなとき長老の、ある人が。
「爪で拾って箕(み)でこぼす。」
だわいや。
と。
コッパイして育た子供も帰っちゃ来ない。
昔は病気しても神主を呼んで村中で、その人の病気が治るように拝んだ過去がある。
また、そんな祈りが効いて治ったこともある。
クダショウと言う話もある。
私の母親は、本物のクダショウを見たと真顔で言ったときがあった。
そんなこと迷信だと片付けないでほしい。
そんな過去があり、今の世の中へと時代は繋がっているのだから。
爪で拾って箕(み)でこぼす。
「そんなもったいないことやると罰が当たるゾ」
私たちの親たちはみな
爪で拾って箕(み)でこぼす。
そんな気持ちで子供達を育て上げたのだと思う。
サバイバー とは
生存者。 生き残った人々。 遺族。 また、逆境に負けない人。
浜松市サバイバーとは、政令指定都市新浜松市の北部に暮し続けている人たちを、そう呼ぼうと今、私は思った。
サバイバー とは
生存者。 生き残った人々。 遺族。 また、逆境に負けない人。
浜松市は2005年(平成17年)7月1日周辺12市町村を巻き込んで新浜松市として誕生した行政区だ。
巨大な行政区は、その合併から1年9か月後の平成19年4月に政令指定都市になった。
サバイバー とは
生存者。 生き残った人々。 遺族。 また、逆境に負けない人。
山に生きる会、そんなNPOがある。
山を大切に思っている人々がいる。
不便だと思うこともあるが故郷を思い山道の整備に汗を流している人がいる。
浜松市サバイバー
浜松市の北部は学校が無くなり子どもを育てることが難しい地域となっていく、それでも。
浜松市サバイバー
ココで生きていくと決めた人たちなのだ。
毎週日曜日の夜放送されている「ポツンと一軒家」を見た。
今週は四国地方の山の中にある一軒家だった。
普通乗用車だと狭くて大変な道路を進んで行く。
山の中腹にある、その一軒家は高齢の夫婦が二人で暮らしている家だった。
我が佐久間町も、そんな所は多い。
わたしが暮らしていた横吹も、今は三軒になった。
(純粋の横吹の家は二軒)
そのうち一軒の嫁さんが最近亡くなったときく。
その人はわたしが中学生の頃、横吹に嫁いできた。
中学生だった自分は、その家の庭で嫁様の来るのを他のガキ友と待っていたのを覚えている。
最近も佐久間町に暮らしている人が、天竜に家を建てたと噂で聞いた。
佐久間町で働くところがあるのに、暮らすところは町場に家を移し、父ちゃんは佐久間まで通っている、そんな人が多い。
なんでかナ~????
インテリア西川
そんな浜松の事務所で酒を飲み、水窪祭りでの仮装の話になり誘われて今年は、その人たちの仲間に混ぜてもらうことにした、水窪祭りの仮装大会だった。
仮装の内容は、水窪に暮らす年寄りたちが水窪弁で水窪の昔を懐かしむ様子を語り、最後に水窪音頭を踊りだす。そんな感じだった。
いかいで こがいで よかっつら~♪
はんるかぶりだよ いっかもないか~♪
思い想いにジ~さん・バ~さんに仮装して、先ずは地元の春日神社に行く、一日の水窪祭りでの仮装の無事を祈願して二礼二拍手一礼。お神酒をいただいて、いざ仮装。。。
向市場の仮装会場に出発した。
音響の調子は、イマイチ。が本番になったら、なんか調子がいい。春日神社の祈願の賜物、かな(笑)
昔、懐かしい「く~姉」がいた。
リックを背負って「本町に行ってアツ姉のところに遊びに行く」と言っていた。しわだらけの顔をしわだらけの顔にして笑っている顔が昔のままで懐かしかった。
本町の仮装審査では、向市場の間違えを二度と繰り返すこと無く、やったつもりだ。
が、下品な無いように、10点マイナス、だそうだ(笑)
大里の審査会場、小畑の審査会場と、何とか終わり、第一日目の水窪の仮装大会は終わった。
仮装が終わり、小畑から向市場に帰る途中、本町の山に生きる会交流所により、いろいろ話しているときに「さっき米屋の八幡カオルがよってったゾ~」との話を聞いて、わたしと友さんたちは米屋に向かった。
米屋金物店の扉を開けて、呼んだら。。。出てきた~、、、。本物の八幡カオル、、、。
「いま何時~」・・「都チジ~」との掛け声で写真を撮った(笑)
水窪は凄い、素晴らしい。。。
芸能人や、様々な議員さんがイッパイ来ていた。
先ず、今回の会所である向市場に行ったとき、朝の七時の電車で向市場の駅に降り、会所に入ったら、一人ワイシャツにスラックスの人がいた。
そうか、早くから仮装の格好をしているのだ、と思っていた。水窪の人は仮装にかける意気込みが違う、そう思ったいた。
わたしの左側に座っていた。朝から会所では酒を飲んでいる。様々な話の中で、そのワイシャツに人に誰かが
「昨日は何処に行っていた」そんな話をしていた。
そのワイシャツの人は
「青森県の自衛隊を廻ってきた」そんな風に答えた。
俺は
「三沢基地とか?」
と、そのワイシャツの人に尋ねた。
「三沢基地、行ってきました」
そのワイシャツの人が答えた。
それまで、わたしは、その人は水窪の人でワイシャツとスラックスで今日の仮装に備えたいるのだ。と思い込んでいた。
反対側の人に、小さな声で聞いてみた。
「このひと自衛隊関係の人?」
な、なな、なんと、その人は静岡県の県会議員の人だった。。。(泣)
その他、各仮装の審査委員会場には浜松市の市議会議員の人たちが要所要所にいる。
また
一日目の夜、大里から本町まで行く途中に、なんと、城内みのる先生がいるのではないか。
酔った勢いで写真を撮ってもらったが、暗くてわかりずらい。
この話には、つづきがある。
わたしは城内実さんの議員報告のメールを貰っている。
何時もは、そのメールあまり読まないのだが、つい先日の「安定と挑戦の内閣発足」のメールだけは読んでみた。
新聞で小泉新次郎議員が環境大臣に初入閣と言う記事が出た。そんな時の話だ。
伝えたいことがありメールをした。
安定と挑戦の内閣発足
を見て、ぜひ応援したくてメールしました。
小泉内閣で郵政民営化があり、田舎はますます衰退していきました。
しかし、その郵政民営化に反対する人もいました。
大きな流れに乗っていけない人が、ダメになっていく。
そんなふうな風が吹き荒れた時代だったと思います。
田舎も、今、そんな感じです。
子を持つ家族が、天竜へ浜北へ流れていきます。
14年前、無所属として戦った同志の活躍、城内さんの環境副大臣の活躍、期待しています。
日本は、今のところは原子力発電で安定的な電気の供給を考えるべきです。
渡辺昇一さんの本を読み自分なりに納得しました。
それが、元総理経験者の人が原子力反対を叫んでいます。
小泉進次郎新環境大臣に期待しています。
どう父親を説得するのか?
原子力(悪)
自然エネルギー(良)
この考えは良くないと思います。
原子力(悪)この考えが蔓延して原子力関係で働いている人に冷たく当たる人が増えています。
様々な人がおり、様々な考えがある。
多数派が良いのではない。少数派でも素晴らしい考えがある。
そんな世の中を期待しています。
田舎は今、ココでは暮らせなくなるのではないかと心配な声があります。
そんな心配から、子を持つ世帯が出て行くのだと思います。
上手く言えませんがメールしました。
浜松市の北(ほくえん)も応援してください。
佐久間町半場
新間 勉
ブログ「ほくえんの風」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/
城内さんと写真を撮り、周りの人が城内さんと様々な会話をしている中で、その城内さんから自分が出した、このメールの話が出た。
この人を探していると、そのメールのコピーを手にして話していた。
「そのメールはわたしの出したメールです。宜しくお願いします。北遠のこと佐久間・水窪のこと」と話した。
感動した。
見捨てられた地方、そう感じていたけど、見捨てていない人がいる。
城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト
いいだ21ネット
世界へはばたく子どもを育てたい!
・「政治は未来のためにあり、未来は教育がつくる!」
・「正直者がばかをみることのない世の中にする!」
を信条とします。
途中、昔懐かしい人に出会った。
フジユニバンス水窪事業所で一緒に動いていた仲間だ。
(水窪では一緒には働いていたを、一緒にウゴイテいたと言う)
本町で、アツ姉が。二日目の向市場では三人知っている人がいた。一日目ニコニコしていたが、その日は誰だか分らなかった。それが二日目近くに寄ってみたら「なんだチャイね~」と声をかけた。昔の思い出が蘇った。
令和元年「水窪祭り」
二日目の仮装は、裸の大将、だそうだ。
わたしは先生の、役らしい。
先生と書いた麦わら帽子を渡された。
二日目の仮装が終わり。
二日間よく歩いた脚は豆だらけだ、一緒に帰った三人で軽く片付けをして16時14分の飯田線に乗るために向市場の駅に向かった。
ドクターヘリが向市場の集落の上を旋回している。救急車のサイレンが鳴り響く。何かあっただろうか?
ドクターヘリの写真をパチリ。
向市場の駅で電車待ちの女の人に、その写真を見せた。
「また祭りでバカみたいに飲んでヘリで運ばれたダラ」
キツイお言葉、、、。
二日間、水窪祭りは楽しかった。様々な出会い、語らい、酒も美味しかった。
2015年
水窪祭り
2016年
水窪祭り
2017年
水窪祭り
2018年
水窪祭り
水窪のお祭りは賑やかい。いつも賑やかでなくてもいいが、せめて学校が存続できる人口を維持するためには如何すればいいのか。
田舎でも医療や買い物の心配がない、そんな地域になることだと思う。
ドクターヘリ、大変ありがたいことだ。消防署、これも有難いことだ。
元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る~♪
こんな歌いだしのさだまさしの曲「案山子」
案山子 (さだまさしの曲)
「案山子」(かかし)は、日本のシンガーソングライター・さだまさしが1977年11月25日に発表したシングル。「雨やどり」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「関白宣言」などと共にさだの代表作の一つとされている。同年のアルバム『私花集』のほか、『さだまさしベスト』などのベストアルバムに収録。また、ライヴ・バージョンも多数存在する。
都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌である。
解説
さだによれば、この曲のきっかけは大分から福岡へ弟の佐田繁理と共に移動する際に、列車から見た景色だという。
その日は雪が降っており、車窓から雪の中に案山子がぽつん立っているのを見たさだは、「かわいそうにな、雪の中に立ってて」と話しかけた。繁理は鈍い反応しかしなかったが、さだはその風景と、自身が経験した都会での一人暮らし、そして弟の台湾留学中の思い出などが重なり、この曲を思いついたという。さだ曰く「曲の原風景は津和野(島根県)、インナースリーブの表紙の写真の撮影は琵琶湖のほとり」とのこと。
なお、「お金はあるか」「『金頼む』の一言でもいい」という歌詞があるが、これは親からの仕送りだけが頼りだったさだ自身の経験が基になっており、冒頭のメロディは、アマチュア時代に既に書かれていたものを使用しているという。
ウィキペディアから
1977年(昭和52年)この曲は発売されている。
「お金はあるか」「『金頼む』の一言でもいい」という歌詞があるが
あれから平成の時代になり、故郷に暮らす親に おれおれ詐欺が横行する時代になった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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