昨日、仕事の帰りに、お酒を買いに途中の酒屋(竜美屋)で、お酒を買いに入った。
そこの店主に
店主:「朝早くキャップライトを着け走っていたが、何時から走っているだいや?」
私:「??????私、今朝は走ってないよ」
私、ココに暮らすようになって26年、走り続けて25年。
佐久間で走っている人はダイタイ・・・・わかる。
たぶんあの人と勘違いしているんだな~。
走る人、それぞれの考え目標があって走っている。
ある人は「ダイエット」ある人は「健康のため」ある人は「自己実現」
私は今、ウルトラマラソンに興味を持ち日々の練習に励んでいる。
なかなか普通の人には理解ししくいかも、朝からライトをもって走ること。
「走る馬鹿」
そんな時、水窪の小松屋製菓のHPを見た。
↓HPから引用
田舎では昔から、 「栃の木を、切る馬鹿、植える馬鹿」 なんて言われています。
まずは 「切る馬鹿」。 これは、桃栗とは違い、栃の場合は実をつけるほどの成熟した木になるには、100年近くかかるため、
先祖が植えてくれた「栃の木」を切るのは、それまでの数十年の歴史が一瞬にして消えてなくなると言った意味から
「切る馬鹿」 と言われています。 続いて 「植える馬鹿」。 これはもうおわかりだと思いますが、自分がこの木を植えたところで、
実が成る姿を見る事はない、孫、ひ孫の代でようやく実が成るであろう、という事から「植える馬鹿」と言われています。
小松屋製菓では、「切る馬鹿」 にはなりませんが、 2代目から 「植える馬鹿」 にはなっちゃいました。
「植える馬鹿」のスタートは、私が小学校低学年の頃でした。
あれから30年あまり。今年もわずかな本数ですが、「植える馬鹿」 はやめられませんね。
「走る馬鹿」
浜松駅から佐久間まで走ったり、浜松駅から浜松市を突き抜け飯田市の遠山郷まで走っている。
佐久間町に帰ってきて、佐久間駅伝に誘われ走るようになり。
もう25年間走っている。
「走る馬鹿」 ・・・・・やめられない(*^^)v
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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