先日、出勤ランの時にブログ仲間の"看護師父さん"に出会った。
"さくまっぷ(中部編)"で元生花店の人が地域の古い写真を持ってきたので、
次は、佐久間の動画を作らない・・・そしてYouTubeで?
そんな、、、話をした。
私が走り始めたのは、ここに越してきた29歳の時から。
私がパソコンを始めたのは、ウインドーズ98が世の中に出た来た時から。
佐久間のパソコンをやっている人たちと、飲み会もやった。
「佐久間インターネット友の会」なんて勝手に名前を付けて、半場の"三好野"で酒飲んで話し合った。
5人だったけど。
佐久間町が浜松市に合併することを決め、佐久間町の役場で働く人が私の地域にも合併の話を説明しに来た。
静岡市に合併した井川地区の例を挙げ、、、、佐久間もいずれはこうなるでしょう。。。。と。
その夏の或る日、国道152号線をリックを背負って走っている数名のランナーを見かけた。
次の日、静岡新聞でマラニックの話を知った。
浜松市に合併した12市町村の旧役場を水窪町から佐久間・龍山・春野・天竜と夜通し走って、最後には浜松市の役所にゴールしたそうだ。
世の中には、こんな人もいるのだな~。
フルマラソン(42.195㎞)しか走ったことがない私が、この仲間と出会うようになり、ウルトラマラソンの世界に・・・・。
そんな仲間と出会い、話をしているときに、名古屋から金沢までの、さくら道、の話を知った。
さくら道、とは佐藤良二さんが「太平洋と日本海を桜で繋ごう」と桜を植えた道だ。
その佐藤さんをそうさたのは、御母衣ダム建設の時に桜の木(荘川桜)がダムの畔に移植されたことがきっかけだった。
荘川村では、この荘川桜が咲くころに、地元にいる人も当時ダム建設で地元を離れて行った人も一緒になって桜の下で宴を開いているそうだ。
佐久間町と荘川村、佐久間ダムと御母衣ダム 互いに当時のダム建設時代には様々なことがあったとは思います。
今は時代が変わり、インターネットの時代、若い世代が佐久間の動画を作ろうとしている。
佐久間の物語。
楽しみに待っている(^^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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