佐久間町は山の中の小さな町です。
去年の暮れから、何かの縁で、私は佐久間病院の人たちが行っている「さくまっぷ」作り。そんなのに参加している。
12月7日に佐久間地区を散策、12月23日に半場地区を歩いてきた。
昨日、平成26年1月13日は中部地区を歩いたのだ。
写真はクリックすると大きくなります。
中部のお寺(宥泉寺)永代供養のお墓。
私が住む地区(半場地区10班)での私が班長をやっているときに、一人の老人がいた。
年齢は、94歳、妻に先立たれ一人きりの生活だった。
やがてその老人は地区の民生委員の紹介で佐久間の里(特別養護老人ホーム)に入所し、そこで亡くなった。
身寄りがないので、その民生委員がすべてをお世話した。
私も、お寺(宥泉寺)に行き手を合わせた。
その時、御仏前の話をしたら、
民生委員の人が、
「生前に永代供養として、お寺に納めてある」と言っていた。
今回の、さくまっぷ(中部編)
お寺や、神社、を巡り、手を合わせる日本人の習慣を甦させる中部地区の散策だった。
私の田舎でもそうだったが、村の色々なところに神様がいて、年末になると子供たちは村の神々に御供え物を配るのに大変だった。
それでもそれが、当たり前の時代だった。
私の田舎は「塩の道」の街道沿いにあったこともあり、名も知らない人の亡骸を弔った墓もあったという。
そんなところに、わけもわからず手を合わせて帰ってきた記憶がある。
忘れかけた昔の記憶。
が、なぜか甦った。
そんなことを思い巡らせる。
今は、時代が変わった・・・と言ったも・・・忘れてはならないものがある。
きっとある。
田舎だからこそ、忘れてはならないこと。
・・・・・・・・今、生きていることは・・・・・ただ偶然のことではないのだ。
意味があって、今の時代を生きているのだ。
今日の酒はやけに旨かった。
ジャンジャン^^;
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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