平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
「やって見せ、言って聞かせて、 させてみせ、誉めてやらねば、人は動かじ」
山本五十六
多くの職人の先輩がいる。左官だったり大工の職人だったり。
先日左官の人と仕事をした。
誉めたり、注意しても、してくれた。
誉めることにより、注意してくれることに、納得もした。
自分の今やれることは、職人が仕事をやりやすいように、今職人は何を要求しているのかいち早く感じ、材料や道具を素早く用意すること。
力仕事は一生懸命いやった。
そして、誉めてくれた。有難かった。
この山本五十六の言葉には続きがある。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で、見守って、信頼せねば、人は実らず」
また、教えてもらうほうも、任せられる信頼されるようにいしなければ。
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2022年6月23日(水)正午、
我が家に光回線が開通した。
四人家族の其々がスマホを見たが早さを感じられない。
そう
4人みんなが使うと早さは感じられないのだ。
今朝、パソコンは快適だ。
思い起こせば
32年前、ここ半場に越してきて、ウインドウズ95のパソコン(キャンビー)を買ってインターネットに繋がたことが懐かしい。
当時はダイアルアップで電話料金を気にしながらの接続だった。
夜中の11時過ぎからNTTの割引があり、11時から回線が込んでいたっけな。
それがADSLになり早さを感じ、快適だった。
ところがそのADSLも、速さを感じるところは、住んでいるところがNTTの基地局に近い人だけの話し。
野田
そこに暮らす人は、最悪だと言っていた。
動画は勿論、セキュリティの対策ソフトの更新も出来ない状態だと。
それが、今回、光が私の暮らす北遠にやってきた。のだ。
私の暮らしていた「横吹」(斜面集落)にも、その光回線網は来ている。
そこに暮らす人は三軒、誰が考えても光に繋ぐ人はいない。
しかし、国は多額の予算をかけて横吹まで聞かり回線網を設備した。
しかし、国は多額の予算をかけて横吹まで聞かり回線網を設備した。
浜松市のある有力者が水窪に来て言ったそうだ。
「田舎に暮らすと、お金がかかる早く出てってほしい」と。
国のトップの人も同じような考えの人はいるだろう。
しかし
ここに暮らしている人がいる。
光回線が開通して、ココ北遠は如何変わっていくだろう。
一縷の光を目指し、今日の夜は走ろうと思う。
先日職場の上司にモッカンを書けと言われた。
なにそれ?
期間は22日まで、今日は23日
明日は夢街道CR
適当に書いて持って行こうと考えている。
待てよ
目標管理シートで検索してみた。
http://nomad-salaryman.com/annual-target-assitant-how-to#i
フォーマット①
「あなたが組織にどう貢献するか?目標設定」
↓
フォーマット②
「仕事以外の部分であなたはどうスキルUPしていきたい?個人能力開発目標」
↓
フォーマット③
「部下や後輩に何を伝えられる?マネジメント目標」
となっていることが理想的。
なるほど。
ま、三ヶ月目だし。
これで我慢してもらおう。
62歳のオッサンが頑張っている姿勢だけを示せばいいではないか、と思っている(^.^)/~~~
そのまた草鞋を作る人
駕籠に乗る裕福な身分の人もあれば、その駕籠をかつぐ人もいる。さらに、その駕籠かきの履くわらじを作る人もいる。世の中には貧富の差があり、さまざまな境遇の人がいることのたとえ。また、それぞれの立場の人の持ちつ持たれつの関係で社会が成り立っていることのたとえ。
私は山で暮らしている。
都会暮らしで、たまには山に行きたい人もいるだろうと思う。
そんな人に来てもらいたいと思い。
トレランコースを考えている。自分なりに。
半場山&戸口山に登山。
登山計画は家族に出した。
登山口に車を置いて、半場山を通って戸口山に向かう予定だと、言った。
6月13日(日)
ウッチャン友さんと三人で登った戸口山(三盛山)
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど、「希望」が見つからず残念だった。
今回、その「希望」のピークにだどりつくのが最大の目的だ。
今回は、前回の反対側からトライする。
戸口山(三盛山)とは
佐久間にある高校、そこの校歌で、その戸口山(三盛山)歌詞で使われている。
見よ赤石を かたどりし
わか校章の 三つの峯
(この三つの峯、この峯は三盛山の戸口山のことなのだ)
佐久間町にある上野集落から、真正面に見える。
左から「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったのに、戸口山に先に登って「叡智」のピークにたって半場山経由で帰ってきた。
今回は、その6月13日に行けなかった「希望」探しに行くのが最大の目的だった。
6時30分自宅を車で出発、6時45分登山口、6時46分登山開始
6時53分最初の鉄塔へ、7時13分その次の鉄塔へ、そこから整備された登山道を行くが6月13日の時の記憶にない道だと思う。作業道につき半場山に行く道と違うときずく。半場山(カミナリに焼けた杉)を見に行く(600mくらいか)
帰ってきて、作業道から鉄のはしごを登り、次の鉄塔を目指す。
「叡智」のピークが見える。それを目指して登る。
「叡智」のピークに辿り着いたのが8時
少し下って反射板
そこから上って戸口山「健康」に着いた。
8時17分
高い木に囲まれて景色はのぞめない。
そこから下って、作業道がある。登り口はテープを巻いた木が遠くに見えたので、それを頼りに登った。あったあった。「希望」のピーク。
8時26分
そこから尾根沿いに下る。途中テープもなく不安になる。
8時43分
眺望もないし、不安だし、もと来た道を戻って帰ることにした。
「希望」「健康」を通って
「叡智」で持ってきたカップ麺を食べた。
持ってきた。本
藤原和博さんの
「改革はいつも、たった一人から始まる」
を読んだ。
序章
どんなチャレンジでも「産道を通るときの恐怖」以上に怖いことはない。
眼下に佐久間の町を眺めながらの読書&カップ麺、
贅沢なひとときだ。
半場山の、50年前カミナリガ落ちて焼けた杉の木を見て
帰ってきた。
登山口、車が置いてあるとことに帰って来たのが。
11時20分
家に帰って草刈りやって、ニンニクを植え、一日が終わった。
いつものように夕食前の晩酌
7時半の集まりだけど少し早く行くことにした。
今日は一番乗りだった。
太鼓・鈴・宝の準備をして練習の始まりだ。
5・6名集まっただろうか。
みな、何かの縁で、半場に来るようになり、祭りの練習に参加している。
何かの縁
令和3年、の夏、お祭りの練習に、参加している。
笛・太鼓に合わせて神楽が舞う。
何年前から半場で、行ってきたのだろう。
知り合いのブログに、そのルーツがあった。
穀物が豊かに実ること。
田舎での暮らし、家庭菜園の実りを祈っての舞なのか。
いや
それだけではない。
半場の若い衆が、集い、未来に繋げるための儀式
今年のお祭りには
是非
「遍明閣」の扁額を見よう。半場剣道会で奉納した「凛冽萬古存」の額も見たいと思う。
去年は中止となった
半場のお祭り。
今年は神樂舞いはやる、との連絡で、練習に通っていた。
猛暑が続き、仕事を終わってからの練習は大変だけど、久しぶりに村の人と出会って話すのは新鮮だ。
7月14日(水)からの練習だったけど、夕立ちで次の日15日からの練習になった。
時間は夜の7時半から。
仕事を終わり、家での草刈りを終わり。
夕方
ビールを飲んで食事
7時過ぎて、祭りの練習にでかけていた。
ところが、昨日、ソファーで横になり、寝てしまった。
ZZZzzz
目が覚めたら、8時30分
練習会場である区民センターに行ったら誰もいなかった。
玄関で横になり夜空を見上げた。
耳元で蚊の飛ぶ音が聞こえた。急いで帰って家で布団に入って寝た。
明日から練習頑張ろう。
半場のお祭り2021
今年は7月31日8月1日となる。
夢街道の町「みさくぼ」に水窪音頭がある。
そこに
イカイデ コガイデ ヨカッツラ ハンルカブリダデ イッカモナイカ ヤーレ マタ ヨカッツラ
とある。
分かるかナ~?分かんないだろうナ~?
これで確認してみれば分かるだろナ~(笑)
どうして このような 良かったでしょう とっても久しぶり 大丈夫 ヤーレ マタ 良かったでしょう
自分なりに変換してみた。
何年前に水窪の人が作ったかわからないが
水窪を出ていった人たちが、この水窪音頭をも聞けば懐かしさが込み上げるだろうナ~。
イカイデ コガイデ ヨカッツラ ハンルカブリダデ イッカモナイカ ヤーレ マタ ヨカッツラ
イカイデ コガイデ ヨカッツラ ハンルカブリダデ イッカモナイカ ヤーレ マタ ヨカッツラ
どうして このような 良かったでしょう とっても久しぶり 大丈夫 ヤーレ マタ 良かったでしょう
そう。最後は
ヨカッツラ(良かったでしょう)
と、なればいいのだ。
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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