今年の佐久間しし鍋
参加者は男性6名女性6名
中部天竜駅で集まっていたら、たまたま佐久間病院の知り合いの先生が車で通りかかり、写真撮影をお願いした(#^.^#)
この中の人で4名は中部天竜駅から城西駅まで電車でワープ(^O^)/
残された八名で、佐久間しし鍋のコースを走る。
中部天竜駅→西渡(にしど)→八丁坂→城西→野田→ほうじ峠→羽ヶ庄(はがしょう)→中部天竜駅(約30㎞)
西渡の八丁坂、ココはその昔、天竜川の船着き場から多くの物を人力で運んだ坂だ。
馬車が物を運ぶのが主流の時に、この坂は馬では登れないので当時の女性たちが背負子に荷物を背負って運んだ八丁坂なのだ。
平成の今の時代、この坂を、女性のランナーが駆け上った(^O^)/
マムシに注意しながら(^O^)/
瀬戸に着くと、こんな感じの塩の道が残っています。
瀬戸からの景色も、また「佐久間しし鍋」のコースの見どころだ。
東側に竜頭山が見える。
5月の下旬には「竜頭山スーパーマラニック」もある。
しばらく行くと、土砂崩れの現場に遭遇。。。
国道152号線の旧の道だ。
今は相月バイパスがあるので、迂回路は、、、ある。
しかし、その場所に暮らしている人は不便さを強いられていことになる。
話は違うが、この写真を撮影した場所は、知り合いの家だ。
私の佐久間中学校時代の同級生の家です。
ここで良心市があるので、ニンニク味噌とヤマゴボウを買った。
今夜のお酒のお供だ(^O^)/
城西
城西小学校
ココは私の母校。
校歌だって空で歌える(^O^)/
「は~るは緑のもりかげに~♪」
ところが、この小学校、来年一年で閉校になると聞く。
寂しいがショウガナイ事なのか(涙)
野田を走り、メンバーが目指すは「ほうじ峠」
そこでの「伝承館」のソバ(^O^)/
お腹はペコペコ。
野田の坂道をソバソバと呟きながら登っていった(^O^)/
やった~。
ソバだ~。。。。。
在来種を使ったソバだ。
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/31698.html
そばを食べ満腹になって休憩し
伝承館の前で集合写真。
ココで我がデジカメの電源が終了(≧▽≦)
今回はここまで。
動画です。
佐久間しし鍋マラニック
もう何年走っただろうか、ほうじ峠の「伝承館」に過去に走った時の写真が貼ってある。
そのときの自分が微笑んでいる。
そのときの自分は、、、それなりに若い自分だった。
自分は今の自分を、青春真っ盛りだと思っている。
自分は自分、どんな生き方をするのかは自分は決める。
後で振り返って、自分なりに良い人生だったと思いたい。
みなさん、佐久間に来て頂き、本当にありがとうございました(^O^)/
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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