今年で31回目になる、このマラソン自分の記録を覗いてみた。
初めて走ったのは1993年、33歳のとき3時間54分58秒で走っている。
この時は袋井商業高校がスタート・ゴールだった。懐かしいナ~。。。。
袋井クラウンメロンマラソンも小笠山総合運動公園エコパができ会場を、そのエコパに移した。
今回のフルは、わたし初めての仮装をしての参加とした。
青空の下、エコパをバックに 中学生ボランティアに写真を撮ってもらった。
しんしん、仮装へのデビューなのであった。
長いマラソン人生、よく続いてきた、自分で自分を褒めてあげたい。
さて、この年になると、マラソンの楽しみは、記録ではなく記憶、長年走ることが趣味で繋がりができた人に会うことが楽しみの一つなのだ。
仮装はしていても、骨髄バンクのタスキをしていることで、多くの仲間に声をかけてもらった。写真も撮ってもらった。
スタート会場ではヒロボーさんと一緒に走りはじめた。私の兄姉の同世代のヒロボーさん、私より10歳以上年上のヒロボーさんである。
エコパのトラックを半周して外に出る、人人人の中を走っていると、ランニングパトロールのシャツが前を走っている、声をかけると池さんだった。
調子がイマイチだとは聞いていた、昨日の勉強会でナオミちゃんから袋井を走るとは聞いていた。
スタート前の人ごみでキョロキョロ探しても見たが、見つからなかった。が、目の前を走っていた、心配していたが声をかけると元気そうだった。お先にと言われ少し先を走り始めた。
「サンタさん頑張って~」そんな沿道の応援を背にエコパスタジアムから袋井の茶園に囲まれたコースに向かった。
袋井メロンマラソンは年末のマラソンとあってサンタの仮装は多いのだった。しかし、その人たちは速い、とても着いていくことは出来ない、自分のペースを守って走ることにした。10キロ地点を過ぎた頃だろうか、「マミちゃんです♥」そんな声をかけてくれる人がいた。
見るからにはオジサンにしか見えない。しかし髪の毛を縛って着ている服も、女性の感じ。????
彼は性同一性障害なのだという。
男性なのに「本当は女として生きるべきだ」と確信する現象を「性同一性障害( gender identity disorder, GID)」
その人と分れ、先を行く、しかし、その彼も(彼女?)と抜きつ抜かれつ走るのであった。
ハーフを過ぎ、自分の身体もキシミはじめた。足の裏が痛い、腿の内側がピリピリしている、攣りそうだ。
去年の浜名湖100㎞の脱水が蘇る(サンタ脱水症状で救急車)そんなことになったらシャレにならない。
不安な心と戦いながら走っていると、後ろから女性が声をかけてくれた。
「バンクの人ですか?」
「私、登録者で、今適合者だと選ばれているところです」
その人と、しばらく骨髄バンクの話をしながら並走した。
令和元年、その年の年末、師走、そんな時に走っている。身体のアッチコッチの痛みに耐えながら。
その彼女は、提供者に選ばれ感激していると言っていた。楽しみにしているとも。
人は、人には様々な人がいる。私もその中の一人だ。
ハーフを過ぎ、30㎞地点を過ぎ、最後の直線、フラフラ走っていると、クラチさんが軽快な足取りで走ってくるではないか。
10キロ付近で走っているクラチさんは大変そうだったのに。
しばらく一緒に走った。ところが着いていくことが出来なくなった。
クラチさんの背中が遠くなった。
最後のエイドで中学生ボランティアにバナナを貰って、ミカンを頂いて、最後のエコパを目指す坂を、歩いた。
若い、初マラソンだという青年と話しながら。
坂を登りきり、エコパの外周をユックリながらも走った。酷使した足をダマシだまし走った。
ところがマンホールのチョットした所につまづいて、その調子に右足のフクロハギが攣った。
「ギョエ~」自分で、そこを揉んだ。
さっき一緒に走った青年が、心配そうに声をかけてくれた。
何とか治まって、また走りはじめた。
エコパスタジアムに入ると、人々の歓声とオーロラビジョンに写るランナーの姿があった。
帰ってきた。
記録は
5時間37分07秒
着実に記録は下っている。
しかし、走り通せたことに感謝している。
いや、たとえ途中リタイヤしても、ココに来ることができただけで満足としよう。
人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ。
この言葉は映画「最高の人生の見つけ方」での俳優モーガン・フリーマンのセリフだ。
何時か死がやってくる時が自分にも来るだろう。
人は人、自分には自分の生き方がある。
令和元年、無事に完走できたことを有り難いと感じた。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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