フェイスブックをやるようになり、誕生日の夜が慌ただしい。
59人の友達から誕生日のお祝いメッセージが来て、その返信をしていたのだ。
自分なりに、その相手とのであった時を思いめぐらし返信した。
名古屋いいとこで出会ったランナー。ゼロ富士で出会ったランナー。
多くの先輩ランナーからのお祝い励ましメッセージにも感動した。
平成の合併で飯田市になった遠山郷で始まった
チャレンジマラニックin遠山郷
で出会った神奈川の釣り人からも。
遠くシンガポールの友達からも。
地元、浜松市に合併しても、過疎になってもまだココにしがみ付いている仲間からも。
驚いたのは、奈々さんからのメッセージだ、奈々さんとは本人に出会ったわけでもない、それは数年前の「たつやま凸凹」(春)の時の話である。
参加した浜松のランナーからの紹介で友達申請をした。
たった一行
お誕生日おめでとうございます
だったけれど、最後についている絵文字が嬉しかった。
パソコンという器械の前で、自分の精一杯の思いを伝える。
自分がこの世に、58年前に誕生した。
それは、母親が、そのとき、自分という生命体をこの世に送り出そうと、生死をかけて戦った日だ。
丁度、その誕生日の前日、2月19日
到知出版社の女将さん便りが来た。
「天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある」
坂村新民先生の「後から来る者のために」という詩とともに。
http://www.chichi.co.jp/special/24/winter12/?utm_source=willmail&utm_medium=email&utm_campaign=okami_20180219
その19日に
自分の長女の子供二人が、我が家に来た。
長男3歳が、いきなり家に入ってきた。
私「こんにちは」
というと、
孫「こんにちはではない シー」
と、小さな右手をポケットに突っ込んでこたえる。
太古の時代から綿々と続いている命のリレー
58回目の誕生日に思いを馳せる。
最後
塩山市民病院の医院長
多和田さんから
新間さん、お誕生日おめでとうございます。一日遅れですみません。今後も様々なレースでの雄姿を楽しみにしています。
そんなメッセージで今日になったことを知った。
おわり
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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