水窪
NPO法人「山に生きる会」
から
第30回 常民大学合同研究会 の案内が来たので行ってみた。
と き 平成28年11月12日(土)
ところ 浜松市佐久間町
「佐久間歴史と民話の郷会館」小ホール
主催 常民大学合同研究会運営委員会
於波良岐常民学舎(群馬)
立川柳田国男を読む会(東京)
鎌倉柳田学舎(神奈川県)
花巻常民談話会(岩手県)
遠山常民大学(長野県)
飯田柳田国男研究会(長野)
遠州常民文化談話会(静岡)
講演 磐田市
浜松市
研究主題◆常民大学と地域文化
ー後藤民族思想史の検証と発展ー
柳田国男が、昭和初期に書いた名著『都市と農村』のなかで、次のように述べていることを改めて考えてみたいものである。
「それぞれ人又は一家が、世の流行と宣伝とから独立して、各自の生計に合わせて如何なる暮らし方をしようかきめてかかる風が起こればそれでよいのである。
この風習さえ一般になれば、第一次には都市の支配を免れ、すなわち地方分権の基礎はなるのである」
(引用は現代表記)
生活に追われ、時間に制約されるころが、食生活をも貧しくしていく。
働くために時間を制約されることが、さらにまたさまざまな精神の喪失をさせていく。
たとえば、古いいい意味での文化伝承を営み伝えてきた年中行儀や冠婚葬祭の儀礼が姿を消しつつあり、簡略化と都市化が進んでいる。
以下省略
常民とは
民俗伝承を保持している人々を指す民俗学用語で、最初に使用したのは柳田國男である。「庶民」の意味に近いが定義は一定しない(柳田自身も明確な定義を示さないままであった)。
概要
現在一般的には使われないが、元来は「山人」に対する「里人」を意味する言葉であった。日本の民俗学の創始者の一人、柳田は、初期の研究においては村などに定住せず山々を巡り歩いた山人を研究していたが、彼ら山人に対して一般の町村に住む人々を指す意味で「常民」を使用した。
しかし、柳田の研究の対象が里人に移るに至って、この言葉の用法は変わっていった。
ウィキペディアから引用
この研究会の中で最初に
近畿大学名誉教授・文化功労者
野本寛一先生の記念講演があった。
「この国を方途をさぐるー山のムラで学んだことからー」
われわれ一人ひとりの主体性をどうするか、一人ひとりが主人公で考えなければならない。行政が悪い政治が悪いそんなこと言っててもはじまらない、自分はどうだなのだ。だからどうするんだ。というふうに考えなければならない。
昨日は一日、このような研究会を聴く機会に恵まれた。
多くの人の考え方がある。
今日は、これから
ジュビロ磐田メモリアルマラソン
ハーフだ。
マラソンの半分の21.0975キロメートルを走る。
走る人にも多くの人がいる。
行政が悪い政治が悪いそんなこと言っててもはじまらない。
ただ一生懸命、走るだけ。
ただ一所懸命、ココで暮らすだけ。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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