「流水不争先」流水は先を争わず。
去年のゴールデンウイーク五月三日、天竜川を源流である諏訪湖の釜口水門北側の岡谷湖畔公園から天竜川の河口(竜洋海洋公園レストハウス”しおさい竜洋”なぎさ広場)を目指して走った。
第2回天竜川リバーサイドマラニック225㎞+13.35㎞=238.35㎞
二日間のマラニックだった。
右に左に天竜川の川の流れとともに歩みを進めた。
伊那市・駒ケ根市・宮田村・飯田市、天竜狭に来たときには真夜中だった。
ココからは天竜川から離れ山間部に、県道1号線の崖崩れのための迂回路に、新野峠に始まってアップダウンの連続だった。
最後の峠を越え富山村にでて天竜川に佐久間ダム湖に、時間的体力的に無理だと思い富山村のレストステーションはパスした。
ダム湖岸の多くのトンネルを潜り佐久間ダムに着いたのが二日目の夜中。ダムからの4っつのトンネルを抜けると佐久間町の町明りが迎えてくれた。
余りにも眠かったので佐久間駅で仮眠をとろうと立ち寄ると先客がいた。
疲労困憊・満身創痍、駅で体を休め西渡バス停からバスで移動しようと心に決めた。
5月5日の朝4時佐久間駅を出発し西渡バス停に向かった。
西渡バス停を7時10分のバスに揺られ西鹿島駅へ。まだ時間はある、そう思っていたがココからの天竜川河川敷の20㎞はとてつもなく遠く過酷な道程、いくつもの橋の下をくぐりやっとで辿り着いた太平洋。
「流水不争先」流水は先を争わず。
30歳で走りはじめ、少しでも早く走りたい、そんな気持ちもあった。そんな時期もあった。
今は違う。
周りの景色を楽しみながらマイペースでのマラニックを楽しみたいと思っている。
流水先を争わず。
今年も走る天竜川リバーサイドマラニック225㎞
川の流れに身を任せ自然体で、目的地をめざしてユックリと。
私の修行
流水先を争わず
攀念痴(はんねんち)を持たない。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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