深田久弥「日本百名山」を読んで、深田久弥の故郷の山「白山」2,702mの紹介で初めに書いてある言葉がある。
日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護人のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。
深田久弥「日本百名山」から
私の心の山は 竜頭山1,352m
日本百名山に名を出すほどでもないが、自分の忘れられない故郷の山だ。
秋に東栄町の明神山に登って、地域の人に愛されている山だと思った。
その山は岩山で途中、クサリ場や馬の背などがあり、面白い山だと思った。
それに比べ、竜頭山はスギ林の中をただ黙々と登る、単調なコースには、、、面白くない山、そんな声が聞こえるときがあった。
それでも、この竜頭山1,352mは私の心の奥底に染みついている心の山だ。
佐久間町が浜松市に合併したとき、私は走る仲間と、この竜頭山に登った。
それは、だだ登るだけではなく、竜頭山の尾根沿いにあるスーパー林道をギョジングして山住神社・野鳥の森・水窪ダムと走っていきたいと思ったからだ。新城の中川さん佐久間の竹花さんと私で走ってみた。
次の年、「佐久間・水窪スーパーマラニック」が始まった。
そして、そのマラニックは、スタート・ゴールを西渡バス停に移動し、
「竜頭山スーパーマラニック」に名前を変えて去年から始まった。
富士山は日本一の山、そんな富士山に魅せられたランナーが富士山を一周するマラニックを走る。
「ぐるっと富士山一周マラニック」
2014年動画↓
地図
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=091af8c3a14393866f615d89dbcb8298
富士山は、深田久弥「日本百名山」でも格別な山と言っている。
日本一、いや世界一ともいえる・・・と。
八面玲瓏(はちめんれいろう)という言葉は富士山から生まれた。どこから見ても美しい。
「ぐるっと富士山一周マラニック」
は、その富士山を一周して八面玲瓏の、富士山をぐるっと一周して東西南北どこから見ても美しい富士山を感じるのだ。
2013年2014年と「ぐるっと富士山一周マラニック」のリハーサルマラニックに参加した。
富士山は美しかった。
次の週、私の
「竜頭山スーパーマラニック」
私の故郷の山、佐久間町の山、 竜頭山1,352m
そんな山を走る
「竜頭山スーパーマラニック」
富士山のように、大きな山ではないそんなに美しくはないかもしれない、、、、、。
それでも北遠の地を走るマラニック、多くの人に参加してもらいたいものだ。
それは、遠州・北遠地方に暮らす人たちの故郷の山のマラニックだから。
地図↓
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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