平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン、ぷワ~ンぷワ~ン
「ただいまシカとの衝突のため、列車は停止しています」
「ご迷惑おかけしますが少々お待ちください」
中部天竜駅を朝5時25分発、私一人の乗客に車内放送は流れた。
仲間と別れ、
壺屋で、ほろ酔いセット、
缶ビール・酎ハイ二本、ツマミを買いそろえ豊橋駅を17時57分の飯田線に乗り込んだ。
昔みたいに飯田線は混んだりしていない、車窓に缶をならべ流れていく景色を見ながら一本目の缶ビールを開けた。
ランチセットを注文し、カレーの辛さをソレゾレ決めた。
辛さは★ひとつの辛くないカレー、中位の辛さは★二つ、それから★三つと★四つの順に辛くなっていくようだ。
ウッチャン
「私は★ひとつ」
トモゾウさんは
「私は★二つ」
私は。考えて
「・・・★四つ」
店のネパールの人の顔を伺い、やはり止めたほうがと思い
「やはり★三つ」
と、言いなおした。
藤吉さんから進められた本「百万回のありがとう」その本の著者は子宮がんになり余命一カ月と宣告されたけど、その癌は無くなり、その人は生きている。そして本の最後にはインド&ネパール料理店を切り盛りしていると書いてありました。
本の著者とネパール人ゴトムさんとの出会い。スイッチONの奇跡
多くの出逢いで、その人の奇跡の人生は彩を増していく。
その人生も、やがて終わるときがくる。
伊藤さんは死んだ、その人の家に行き手を合わせ、今日のマラニックは始まった。
(ふるさとの自然を感じよう、穂の国で!)
その公園は伊藤さんの暮らす街を一望できる高台の山一帯が公園になっていた。
走る人、歩く人、親子ずれ、様々な人が、故郷の自然を満喫している。
道路を走り、五井山の登山口を目指す。
ウッチャンは元気に走っていく、私は着いていくのがやっとだ。
五井山、登山口、なんか昔の記憶が蘇るような。ケンさんたちと車で通ったとことには、バリケードがあった。
そこを開門、し隙間から五井山に、、、、。
昔ハング・グライダーをやっていたとき、わたし20歳代のころ、今から40年も前の話し。
当時は走る、とか、山登り、まったく興味がなかった。
ハング・グライダーが楽しかった。
その40年前の記憶をたどって五井山を登った。
しかし、車道ではなく登山道を登った。
登山道から出た、その山頂、昔はハング・グライダーで五井山からテイクオフしたところと違うのか?
昔、五井の山頂には鉄塔があり、強風のとき、その鉄塔が怖かったと記憶しているのだが。
その山頂には、何人もの人がいる、その中のアマチュア無線をやっている人に訊いた。
「ハング・グライダーのテイクオフ場知りませんか?」
その中の一人が言った
「この先に、あるよ」
三人で、そこから歩いて行くと、そこにあった。
テイクオフ場だ。
40年前、私はケンさんやヒロ君、ナカネちゃんらと、ココで飛び立った。
そして、私は27歳のとき、衣笠山で飛んで、そのハング・グライダーを止めようと決めた。
佐久間に帰り、30歳から走り始めた。
何回目のフルマラソンだろうか、小笠・掛川フルマラソンを走り終わり佐久間の家でビールを飲んでいるときにヒロ君から電話がかかってきた。
そして、ケンさんの死を知った。
五井山から下山、麓には神社があった。
石上神社だ
私のHの師匠、下さんが言うには、神社の鳥居には意味があるそうだ。
「神社の鳥居の両方の大きな支えは女の太腿を表している」
酔っ払って鼻の頭を赤くして、私に話してくれた人だった。
しかし、私は、その話を納得した。
鳥居を潜るということは、女の叉に入っていくことだと。
そして、その叉を出てきて、新しい自分に生まれ変わることだと。
また、人生、一日、その一日一日を生まれ変わって生きていくことだと。
ケンさんは死んだ。
20歳のときケンさんとハング・グライダーで飛ぶために朝霧高原・車山など楽しい思い出がある。
20歳のときケンさんとハング・グライダーで飛ぶために朝霧高原・車山など楽しい思い出がある。
もう二十歳のころにはは戻れない。
そのころの自分は死んだのである。
人は生れ、そして死んでいく、それが人生だ。
映画
で
モウガン・フリーマン
のセリフだ
人は夜寝て、朝起きて来る。
昨日までの自分は、もういない。
明日からの自分の、生き方を考えないといけない。
むにゃむにゃむにゃ
「お客さんお客さん、どこまで行きますか?」
「むにゃむにゃむにゃ中部天竜駅まで」
切符を車掌さんに渡し、窓から外を覗くと浦川駅を列車は出発する所だった。中部天竜に着き夜8時、夜道を家路に急ぐのであった。
終わり。
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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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