先日、広報委員での会合で、各広報委員が 各委員会での記事をまとめて21日(金)までに持って来るように決まった。
表紙は「地域おこし活動委員会」の「そばの鑑賞会」の記事にしよう。見開き2ページ3ページは敬老会の記事にして写真を沢山のページにしようとの意見がでた。
佐久間は高齢者が多いので、敬老会の写真を浦川地区・佐久間地区・山香地区・城西地区となるべくたくさんの人が映っているような写真を載せようとの意見がでた。
メールで○尾さんが27日(木)事務局で第21号がんばらまいか佐久間の広報誌を作り始めると言うので、私も行ってみた。
私は、○尾さんの作業を見ていただけだが(^^)
10月2日(火)午後7時から広報第21号編集会議開催。
各委員会から6名の広報委員が来た。1名は用事があると連絡が来たのだが、2名は連絡がなかったそうだ。
○尾さんが作った広報誌を6名12個の目でよ~っく見て誤字・脱字、直した方が良い所を探す。
ここの言い回しは・・・・・ここの字はもっと強調した方が良いのでは、等々・・・・。
敬老会の記事の話し合いの時に、○見さんから。
○見:「敬老会で88歳の人に写真を送るのだが、どうにかならないものかな・・・」
敬老会の事を何も知らない私は何が何だかわからなかった。
聞いてみると、佐久間の敬老会は、毎年恒例で88歳の敬老者に大きな写真をプレゼントするそうだ。
○見さんの意見は、毎年おんなじことをやるより、NPOがんばらまいか佐久間でやるようになったので、いろいろ考えて行った方が良いのではとの考えだと思う。
前にも私このブログで書いたのだが、活動委員は何もできない。
理事の人が、我々の活動委員の人の声に耳を傾けてくれないと、私たちはただ委員会で話していることしかできない。
ここで私は思う。
理事会の承認を受けて今の NPOがんばらまいか佐久間は色々なことが決まるのだけれど、こうやって頑張っている活動委員の会員の意見も耳を傾けてくれるようになればと思う。
話が少し脱線した。
今日は、第21号がんばらまいか佐久間の広報の話し。
ところが会合は、敬老会の88歳の写真の話、紅白まんじゅうの話、江戸芝の寿司の話などに及んだ。
最後は、自分が88歳の時には写真はいらない…(とか。
最終的に、○見さんや○野さんたちみんな、委員長の○尾さんに一任、残りの編集作業を他の活動委員が「すいませんが後はお願いします。」
っと終わった。
○尾さん一人では大変かと思い、私「編集作業の時にはメールして」と伝えたが。
10月3日(水)の今日、○尾さんからメール。
「仕事の都合がつき早めに編集作業を行いました。明日事務局に確認してもらいます」
今回、私は最終的にどんな広報になったのかわ分からない。
回覧板で回ってくるまでの楽しみに待っていることにしよう(^^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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