土曜日の朝、リレー・フォー・ライフin静岡に参加するために、中部天竜の駅を5時29分の、始発の列車に飛び乗った。
飯田線内で、切符を買ったら、4.680円、その時から約6時間の各駅停車の旅が始まった(*^^)v
昨日、同窓会打合せでのお酒が残っているのか、なんだか胸やけが・・・・気持ち悪り~。
飯田線から、東海道線に乗り換え、浜松へ、そこでも乗り換え、沼津で御殿場線に乗り換えて、30分電車に揺られ、御殿場駅へ、そこから11時30分初のシャトルバスで御殿場陸上競技場に着いたのであった。
グランド内を見渡してみたら、あったあった、骨髄バンクを推進する会の横断幕が、見慣れた顔触れも何人かいた。
そこで 「りレー・フォーライフの説明↓
リレー・フォー・ライフとは、1985年にアメリカ・ワシントン州シアトル郊外で、
アメリカ対がん協会のゴルディー・クラット医師が始めたイベントです。
マラソンが得意なクラット氏が大学の陸上競技場を24時間回り続けるなか、
友人たちは30分間だけ医師と一緒に回るごとに25ドルずつ寄付しました。
その結果、1日で2万7千$が集まりました。
参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、
友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。
24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。
単なる資金集めのイベントとしてではなく、地域社会全体でがんと闘うための連帯感を育む場として
リレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米4000カ所以上、世界20ヶ国以上で行われるように
なりました。
開催方法は様々だが、共通するプログラムとして「サバイバーズ・ラップ」(がんと闘う人たちの勇気を称え、
がん患者やがんを克服した人たちが歩く)、「ルミナリエ」(がんで亡くなった人たちを偲び、
一人ひとりの名前を記した紙袋の中にろうそくを灯して並べる)などがあります。
ほかにバンド演奏、ゲーム、バーベキューなど様々なイベントで盛り上がります。
私は、雲峰さんのホームページで、去年 兵庫県の「リレー・フォー・ライフ芦屋」を知りました。
雲峰さんのホームページhomepage2.nifty.com/marason-nouta/
遠いな~っと思っていて半年、骨髄バンクを推進する会の事務局の人から、今年 静岡でも開催するとの連絡を頂き、参加するしかないと、思ったのです。
祖父を肝臓癌で亡くし、兄も吐血で倒れ、搬送先の医師から余命の宣告、がん検診の啓発を願っての参加だった。
今日、初めての、「リレー・フォー・ライフin静岡」始まりは、地元 飛竜高校の太鼓の縁部など色々な催しなどが披露された。
太鼓の動画↓
picasaweb.google.co.jp/shinma49/QGsTRF
そして13時、サバイバーが御殿場陸上競技場の400mのタータントラックを歩き始めた。
夜中には、その雨もやみ、霧の中でのウォーキング、となった。
それもまた、幻想的で、素晴らしかったのではないだろうか。
骨髄バンクを推進する会では、夜、3人ずつの組になり、仮眠をとってい交代するようになった。
私は、堀○さんと古○さんで、12時から1時まで、のウォーク。
私は、それまでを、観覧席の隅で仮眠を取ることにした。
3時間ぐらい、寝れただろうか、観覧席から、会場の眺めも又 いいもんだ(^O^)
真夜中の御殿場陸上競技場を交代で回り、次のメンバーに後退して役目を終えた。
しかし、私が佐久間からココに来た目的はもう一つ、ジョギング。
今は亡き、兄を偲び 真夜中の1時35分、御殿場御殿場陸上競技場のトラックを、ゆっくり走り始めた。
輝くルミナリエの中、1時35分から5時35分まで走らせてもらった。
ミニFM局に 島袋さんのゴールへをリクエストしたり、写真を撮ったり、今生きていることを感謝し、走り続けた。
朝、夜明けには、富士山が顔を出すのではないかと、一縷の望みは届かなかったけど、行ってよかった、走って良かった、っと思った二日間だった。
、
夜更け、トラックを周回するしんしんさんの胸をよぎったものは何だったのでしょう。
それにしても、道中も長かったですね、お疲れ様でした。(私もドナー登録してます)
日本の若者もまだまだ捨てたものではありませんね~。
その時、事務局の人が「あそこの歩いてる右側の人が提供者ョ、左側の人が移植して助かったんですよ~」っと説明していました。
ボランティアの人は、楽しい人が多いです。
人生は限りがあるので、今この時を大切に生きたいな~。
そんな事を考えたかな(^O^)
ブログの写真2枚に映っているけど、わかるかな~(^O^)
アグネスも清水クニアキもサバイバーと言うことで、他のサバイバーを勇気づけていました。
ガンは誰でもなりうる病気なのです。
2人に1人はガンになるとも言っていました。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |