若かったころ、走る事なぞ考えもしなかったころ。
湖西市に住んでいて、佐久間に帰るようになって、水窪のフジユニバンスで働くようになって、職場の仲間から誘われたのが
佐久間駅伝だった。
チーム名は「フジユニバンス水窪事業所」
数年たって、地元 半場の消防八分団の会合時に団長から話が合った。
「佐久間駅伝の参加チームを半場消防八分団から出せないだろうか?」
話が盛り上がり、半場消防八分団だからチーム名は「ハッチ」にしよう(^O^)/
となった。
団長がポケットマネーでユニホームを買ってくれた。
選手は佐久間小学校横の消防器具置き場に夜7時に集合して練習した。
盛り上がった。
数年たって、佐久間町でもずば抜けて俊足だったO君が半場に引っ越してきたとの話が合った。
選手の一人が佐久間高校の同級生だとの事で、そのO君を半場チーム「ハッチ」に誘った。
その年、半場チーム「ハッチ」は町内在住在勤の部、三位だった。
半場チームは盛り上がった。
ところが二年後、O君は佐久間からいなくなり、半場チームは走る人もいなくなり、半場八分団も中部の消防団と合併するようになった。
そんな時、隣村の「川合」から、お誘いがあった。
「川合」では、川合の花の舞という伝統芸能がある。
川合花の舞チームからのお誘いだ。
無理言って、ハッチという名前を残してもらった。
「ハッチ&花の舞」
というチーム名で、何回も走った。
ところが、そのチームも、今年はメンバーが集まらなく参加できないと、私の携帯に連絡が来た。
今回、私が走ったチームは
「山香A」
町内在住在勤の部、第二位。
山香、西渡(にしど)の人たちと佐久間駅伝の慰労会。
西渡バス停横の「みどり屋」での飲み会だった。
初めての「みどり屋」多くの料理が出てきた。
西渡の人たちと、多くの話をした。
西渡の街を盛り上げようと頑張っている人たち。
佐久間町全体を見ても、これほど盛り上がっているところは、今は無いだろう。
佐久間町を日本で例えると
〆の「みどり屋」特製のラーメン。
ショッパさが疲れた身体と心に染み入った何とも言えない格別な味だった。
しんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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