私の住む地域で言うと、100件近くの半場自治区がある。そこは12班ある。
区には区長、班には班長、私は班長をやったことがある。
私は10班、24軒。
年度の初めに、班費を集めたり、お祭りになると寄付を集めたり、月に幾度となく回覧板の世話、なかなか忙しかった。
それが、区長にもなると、、、その忙しさはもっともっと大変だろう。
何年前だっただろうか、○下さんが区長の当時、家に行ったことがある。
回覧板が班ごとにまとめてあって段ボール箱がたくさんあった。
母親がお世話になっている特別養護老親ホーム(さくまの里)、ここでは保護者会というのがあり副会長をやらしてもらっている。
三年前の新年会の時だったっけ会長さんに言われ、酔った勢いで受けたような気がする(^^)
体育協会の役員の話は、佐久間の協働センターの新○さんが、私の職場に来て、その話が合った。
佐久間町が合併する前、佐久間の体協が中心となって、有志の人たちで静岡県市町村駅伝に参加した時、お世話になった○泉さんが病気だからと、私に話が来た。
その人は肺癌で、今、抗がん剤治療をしていると聞いた。
浦川の方面に走りに行った帰り、その○泉さんが、家に帰ってきて孫を抱いているのを見た。
そして、私はその写真をスマホで撮影したのを覚えている。
○泉さんに出会ったのはそれが最後となった。
佐久間町時代、体協の役員の人と、みんなで静岡県の県庁に行き挑戦した静岡県市町村駅伝、、、私にとっては忘れられない思い出だ。
明日は、佐久間駅伝がある。
佐久間に住む人が41年前に、城西村・山香村・佐久間村・浦川町が合併してできた佐久間町をタスキで繋げようとした駅伝が。
今回、予算の関係でトン汁が出なくなった、その話が佐久間協働センターの担当の人との話の行き違いで体協にその話が伝わらなかった。
パソコンやネットでのSNS、人と直接会わなくてもコミュニケーションをとれる時代なのかもしれないが、田舎での人との付き合い。
大変と思うときもあるが・・・・・自分なりに楽しんでいる。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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