飯田線で相月駅まで行く。
この無人駅(相月駅)は、私にとって懐かしい場所だ、佐久間中学校に通っているときには、"栄楽屋(えいらくや)"という お店もあった。
ここで お菓子を買い、その お菓子を食べながら、家のある横吹(よこぶき)に登って行ったのであった。
あまりにも懐かしい、相月駅・・・・踏切を渡って"栄楽屋"を訪ねてみた。
なつかしさに浸ってもいられない・・・目指すは遠山郷。
相月駅から国道152号線に降り、佐久間駅伝第2中継地点から走り始める。
相月バイパスのトンネルをくぐると切開(きいなま)の集落が目の前の山に張り付くようにある。
今は車社会になり、街道は川沿いだが。昔は移動手段は自分の足が頼りだ、街道も山の中腹にあり当時は人々が往来し山の中腹の村が栄えていたのだろう。
私の住んでいた横吹(よこぶき)でもそうだ、私が小学校低学年ころまでお店もあった。
しばらく行くと、城西駅に出る。相月バイパスが出来て城西駅まで近くなった。
城西小学校あたりを走ると、遠く向こうに"青崩れ峠"方面が見えてくる。
水窪の商店街を走っていると、通学の小学生や中学生歩いている。
水窪町を超えると、徐々に上り坂がきつくなる。
ようやく着いた、浜松市最北端の 酒屋"はくりや"に到着。
少し休憩し、先を急ぐ。
途中島で、靑崩れ峠と兵越峠の分かれ道、靑崩れ峠に向かうと、「クマに注意」の看板!!
無視していくと、村の人が居て「昨日クマを見た人がいる!!」と、・・・帰るわけにもいかず、気を付けながら青崩れ峠へと歩いていく。
無事にクマにも出会うこともなく、靑崩れ峠の入口へ。
ここから、遊歩道となる、が・が・が・・・・・ここに通行止めの看板が「歩道欠壊のため通行止め!!」。
ま~行くしかない、看板をすり抜け先に進む。
ところが、何もなく、すんなりと通れた。
ようやく着いた。青崩れ峠。
青崩れ峠から、遠州の方面を望む(水窪の山の会の人たちが、伸びた木を払ってくれたそうだ。よく見える)
ここから、信州に向かって遠山郷に向かて下って行く。
遊歩道を下り、林道を下っていくと、去年まで工事中だった所が今は工事が完了していた。
遠山郷の集落が見える頃、道路も工事個所が増えてきた。三遠南信の青崩れトンネルに伴う工事だそうだ。
浜松側では全く進んでいないのに、信州側では、着実に少しずつでも進んでいる。
遠山郷(神楽の湯)に着いたのは、お昼近くになっていた。
佐久間駅6:21→(電車)→相月駅6:26
相月駅 6時30分スタート
はくりや 8時00分
青崩れ峠 9時40分
遠山郷 11時40分
計 5時間10分
浜松から遠山郷「夢街道90km」は私たちマラニックを走るもの楽しみです。
水窪の人に心配かけないように当日は熊よけの鈴を持ってきてください(^^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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