ブラジル移民の話が頓挫し、おしんの母 ふじが銀山温泉に、温泉宿の女中だと言ったふじが本当はどういう仕事をするのか、おしんは知る由もなかった。
朝食の支度にかかるおしん。作造が起き出して来る。
「何だ、まだできねのか! 朝暗えうちに起きねど間に合わねんだぞ! この役立たずが」
今日は裏の山の杉を切り出した跡に杉の苗を植えるため、一家から一人出さないといけないという。作造はおしんにその役を命じた。
杉の苗を背負って大人たちに交じっておしんも山をの上った。
山に杉の苗を植林している時、
おしん「この苗、大きくなるのはいつ頃だべ」
りき 「んだなあ、切り出せるようになるまで40年か50年かかるべ。オレなどもは、生ぎでいねえべな。おしんはなんぼになるべな」
おしん「40年だば48だ。50年だば58だ」
りき 「へえお前、数勘定できんのか。んだな、もうええばんちゃんだ。その頃おしんは何してるんだべな」
おしん「金持ちになって、オレが植えたこの杉買いてえ」
りき 「へえ、おっきくなったらこの杉ば買うのか?」
おしん「こだなつれえ思いばして植えた杉だ、誰さもやりたくねえ」
りき 「へえ、たまげた。やっぱり考えることが並のおぼこでねえな。ハハハハ」
場面は変わって現代。温泉宿の部屋でくつろいでいる圭とおしん。
圭 「へえ、その杉買ったのかおばあちゃん」
おしん「とんでもない。買えるどころか、あの杉じゃ後で随分悔しい思いをさせられた。あんなにつらい思いをして植えたのにねえ。それでも村の共同作業っていうんじゃ、子供心に大人に負けちゃあ悪いと思ったんだねえ。何日も何日も続いたけど、とうとう弱音を吐かなかった」
そして次の奉公先、酒田の米問屋「加賀谷」に奉公に行くことになる。
8歳のおしんは、奉公先の米問屋で麦飯を食い、米を作っている小作は大根飯しか食べられないのを疑問に感じ「おれ大きくなったら商人になる」と思ったのだった。
佐久間町時代、佐久間町の木は「杉」だった。
私の暮らす佐久間町の山々はスギの木だらけだ。それは国の政策で杉を植林した。
しかし、今は安価な外国産の木材の需要が多く、昔苦労して植えた杉が、伐採期間を過ぎ放置されている状態だ。
それは外材だけの問題ではなく、人件費の高騰での問題もある。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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