平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
ちょ~疲れた(>_<)
まさに、全身潮吹き状態(*^_^*)
風呂に入ろう。
先に旅館に着いていた人が「Ikeさんが入っているよ~。」
何で、こんなに早いの?????おかし~な~??????。
NHK学園の人が、電話で「今、Ikeさんを最後に、サポートしました、それでは帰ります」と携帯に連絡があったのに???
良く良く聞いてみると、ワープしたそうです。
まあ、よかったよかった。
Ikeさんが風呂を出でるのを待って、風呂に入った。
「は~っ」
やっぱり、走った後は、風呂があると良いな~。
次の用意もあるので、風呂もそこそこに、出て着替え、NPOがんばらまいかのお店「いどばた」にオードブルを取りに行った。
kinさん親子がいたので、手伝ってもらい、運んできた。
生ビールは、走っているときに辰巳屋に注文、20ℓを旅館に運んでもらった。
宴会だ~。
その時、Sさんが「コップが人数分ないじゃないか、持ってこい」と言われ、「自分で持ってくれば」と反論した。
所が「主催者が持って来なければいけない」おっしゃった(^O^)
調理場に行き、グラスを頼み、よいよ、宴会だ~。
そしたら今度、Kさんが、飲んでいる最中「安産第一」のはなしを出してきた。
そしたら、またまたSさんが、大笑いをしてその話に乗ってくる・・・・・。
Hさんも、「安産第一」は・・・・。
最悪の状態。
私の行っているマラニックは、「佐久間・水窪スーパーマラニック」と「浜松縦断マラニック」二つ。
この二つをやるに当たっての私のポリシーは、{自分が楽しむ。なるべく安くやりたい。これからも過疎になって行くであろう北遠に少しでも来て欲しい}だ。
そこで、マラソン大会が沢山ある中、なるべく早く、開催時期をお知らせしたく、早めに案内を作り家で一人で確認して、封筒詰めをしていた、そして全部終わり、一息ついて読み直していると。
そこ、「安産第一」になっていたのです(#^.^#)
そこで、私は悩んだ・・・。
私が尊敬するHさんはきっと、作り直すだろう。
Hさん曰く、「たくさんの人がいると、クレームはすぐ来るよ、最新の注意をして作っているよ。」それももっともだけど、その時の私は出そうと判断した。だから余計に、自分の知り合い、私の考えに共感してくれる人が来てくれればいいとも思う。
自分なり悩んで、いや、「別にいいじゃん」っと思って、そのまま出した。
なぜか、なるべく安くやりたいからだ、クレームの話が来れば、誤れば良いっと思った。
しばらくして、携帯に着信が残っていた、きた~! 悩んだ末、電話をしてみると、永遠と続く話、解りましたと何度言ったことか。
だけどしつこい!っと少し思った(^O^)
そして今回の話になってきたのだ。
Kさんも、去年の時、帽子をもってきてなく、私は心配していたんだよ(>_<)そして今回、やっぱり持ってきていない。
なんかあったら困るから、自分で暑さ対策はしてこなくては、最後に贈ったメンバー表に、”暑さ対策・体調管理、などしっかり行ってください。”っと書いたのはその為なんですよ(+o+)
もう一つ、我々こんなマラニックをやっている者にとって重大な話が、Sさんからあった。
誓約書の話だ、主催者には一切の責任は・・・の文を書いて印を押してもらうあのことだ。
Sさんが言うには、本当に事故があった場合、「そんな誓約書くそにもならない」と言っていた、いやおっしゃっていた。
私も、スポーツ少年団のお世話をしているとき、その話は何回も聞いた。
私は何時も考えている、もし何かあったら・・・。
しかし、私の次に尊敬する、河野義行さんの「将来を心配するより、今ここにある幸せを見つめ楽しむこと。」を胸に続けていこうと思っている。
私にとって、少しつまらなかった宴会が終わり。佐久間町中部の花火会場へ場所を移動。
その場所は、私の中学校の時の同級生の家の前だ。先日、そこのおばあさんに場所をとってもらった所なのだ。色々な人にお世話になっている「浜松縦断マラニック」なのです。
一発めが、ド~ン。
その花火は、私の胸の奥に響いた。今年もこの花火が見えた。年々村の人達、佐久間の商店街の寄付も減り、花火も少なくなっていく。
しかし、その予算の中で、今回の花火は綺麗に見えた。
中部は隣町だが、この地割れ花火は続けていってほしいと思っている。
来年もマラニックの申し込みと同時に寄付のお願いもしたいと思いますので、よろしくね(*^^)v
まさに、全身潮吹き状態(*^_^*)
風呂に入ろう。
先に旅館に着いていた人が「Ikeさんが入っているよ~。」
何で、こんなに早いの?????おかし~な~??????。
NHK学園の人が、電話で「今、Ikeさんを最後に、サポートしました、それでは帰ります」と携帯に連絡があったのに???
良く良く聞いてみると、ワープしたそうです。
まあ、よかったよかった。
Ikeさんが風呂を出でるのを待って、風呂に入った。
「は~っ」
やっぱり、走った後は、風呂があると良いな~。
次の用意もあるので、風呂もそこそこに、出て着替え、NPOがんばらまいかのお店「いどばた」にオードブルを取りに行った。
kinさん親子がいたので、手伝ってもらい、運んできた。
生ビールは、走っているときに辰巳屋に注文、20ℓを旅館に運んでもらった。
宴会だ~。
その時、Sさんが「コップが人数分ないじゃないか、持ってこい」と言われ、「自分で持ってくれば」と反論した。
所が「主催者が持って来なければいけない」おっしゃった(^O^)
調理場に行き、グラスを頼み、よいよ、宴会だ~。
そしたら今度、Kさんが、飲んでいる最中「安産第一」のはなしを出してきた。
そしたら、またまたSさんが、大笑いをしてその話に乗ってくる・・・・・。
Hさんも、「安産第一」は・・・・。
最悪の状態。
私の行っているマラニックは、「佐久間・水窪スーパーマラニック」と「浜松縦断マラニック」二つ。
この二つをやるに当たっての私のポリシーは、{自分が楽しむ。なるべく安くやりたい。これからも過疎になって行くであろう北遠に少しでも来て欲しい}だ。
そこで、マラソン大会が沢山ある中、なるべく早く、開催時期をお知らせしたく、早めに案内を作り家で一人で確認して、封筒詰めをしていた、そして全部終わり、一息ついて読み直していると。
そこ、「安産第一」になっていたのです(#^.^#)
そこで、私は悩んだ・・・。
私が尊敬するHさんはきっと、作り直すだろう。
Hさん曰く、「たくさんの人がいると、クレームはすぐ来るよ、最新の注意をして作っているよ。」それももっともだけど、その時の私は出そうと判断した。だから余計に、自分の知り合い、私の考えに共感してくれる人が来てくれればいいとも思う。
自分なり悩んで、いや、「別にいいじゃん」っと思って、そのまま出した。
なぜか、なるべく安くやりたいからだ、クレームの話が来れば、誤れば良いっと思った。
しばらくして、携帯に着信が残っていた、きた~! 悩んだ末、電話をしてみると、永遠と続く話、解りましたと何度言ったことか。
だけどしつこい!っと少し思った(^O^)
そして今回の話になってきたのだ。
Kさんも、去年の時、帽子をもってきてなく、私は心配していたんだよ(>_<)そして今回、やっぱり持ってきていない。
なんかあったら困るから、自分で暑さ対策はしてこなくては、最後に贈ったメンバー表に、”暑さ対策・体調管理、などしっかり行ってください。”っと書いたのはその為なんですよ(+o+)
もう一つ、我々こんなマラニックをやっている者にとって重大な話が、Sさんからあった。
誓約書の話だ、主催者には一切の責任は・・・の文を書いて印を押してもらうあのことだ。
Sさんが言うには、本当に事故があった場合、「そんな誓約書くそにもならない」と言っていた、いやおっしゃっていた。
私も、スポーツ少年団のお世話をしているとき、その話は何回も聞いた。
私は何時も考えている、もし何かあったら・・・。
しかし、私の次に尊敬する、河野義行さんの「将来を心配するより、今ここにある幸せを見つめ楽しむこと。」を胸に続けていこうと思っている。
私にとって、少しつまらなかった宴会が終わり。佐久間町中部の花火会場へ場所を移動。
その場所は、私の中学校の時の同級生の家の前だ。先日、そこのおばあさんに場所をとってもらった所なのだ。色々な人にお世話になっている「浜松縦断マラニック」なのです。
一発めが、ド~ン。
その花火は、私の胸の奥に響いた。今年もこの花火が見えた。年々村の人達、佐久間の商店街の寄付も減り、花火も少なくなっていく。
しかし、その予算の中で、今回の花火は綺麗に見えた。
中部は隣町だが、この地割れ花火は続けていってほしいと思っている。
来年もマラニックの申し込みと同時に寄付のお願いもしたいと思いますので、よろしくね(*^^)v
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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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