「RUN2homepage」の画面、上の所に「ほくえん写真館」「KARATE」「詩吟」のボタンがある。
今日は「詩吟」の説明をしようと思う。
「詩吟」をクリックすると↓の画面。
「佐久間吟風会」とバ~ンと書いてある。
ここは私が詩吟をやっていた当時に作ったページなのです。
毎週一回、佐久間就業改善センターの会議室に集まり、大きな声で詩吟を吟じていたのだった。
歴史上の人物が書いた漢詩を読み下したものに節をつけて吟ずる、漢詩の背景(その人がその漢詩を作った時)を頭に描き現代に生きている自分が吟ずる。
大きな声を週に一回張り上げたのが結構ストレス解消になったものだ。
その詩吟をやっていた時に、いい漢詩だな~っと思ったのが、このページに書いてある佐久間象山の「漫述」なのである。
謗る者は汝の謗るに任す そしるものは なんじの そしるに まかす
嗤う者は汝の嗤うに任せん わろうものは なんじの わろうにまかせん
天公本我を知る てんこう もと われをしる
他人の知るを覓めず たにんの しるを もとめず
慢述【通釈】
謗る者はぞんぶんに謗るがよい。
あざわらう者は思いきりあざわらうがよい。
謗るも嗤うも君たちの勝手にさせておこう。
天の神だけは、わたしの私心のないことを知っている筈であるから、
他人に理解してもらおうなどとは思わないのである。
また他にも
唐代の詩人だった張継が詠んだ 『楓橋夜泊』
蘇州の寒山寺のお寺を書いた漢詩だ。
楓橋夜泊 <張 継> ふうきょうやはく <ちょう けい>
月落ち烏啼いて霜天に滿つ つきおちからすないて しもてんにみつ
江楓漁火愁眠に對す こうふうぎょか しゅうみんにたいす
姑蘇城外寒山寺 こそじょうがい かんざんじ
夜半の鐘聲客船に到る やはんのしょうせい かくせんにいたる
楓橋夜泊 【通釈】
月は冴えて水の面に映り、烏がないて、霜の気配が天に満ちている。
川岸のかえでの間には、いさり火が点々として、旅愁のためにうつらうつらとして眠れない私の目にうつる。
そんな折、姑蘇城外の寒山寺から打ち出す夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている旅の船にまで響いてきたのであった。
う~ン この二つ、私のお気に入り。
さっきから、詩吟をやっていた時と書いたが、今はもうやっていないのです。
週に一回の時間が出来ないので・・・泣く泣く止めることにした、今は昔の思い出にと、自分のホームページに残しているのです。
この二つの詩吟、山に入った時などに、だれもいないのを確認し一人吟じるのもいいものだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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