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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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名古屋駅に着いたのが17時20分
萩田さんから借りたコピーしたコースマップを頼りに、「JR東海バス株式会社」に行こうとするも、迷ってしまう。
途中コンビニで、道を聴く。
スタート地点に行くまでに、こんなんでどうなるんや(-_-;)

7時前、ようやく「JR東海バス株式会社」着く。

走る支度をして、今回初となる「さくら道」写真撮影。
セルフタイマーを使い、自分の写真を撮ろうとしたが、私のデジカメ、セルフタイマーがもう機能しなくなっていた。
(壊れかけたデジカメ)
残念!

7時に記念碑の前をスタート

名古屋南五丁目の交差点を左折して、名古屋駅に、ココから駅前を桜通大津に行くも、手前の交差点で分らなくなり道を尋ねる。
桜通大津に出て、名古屋城に向かって走る。
これは名古屋どえりゃマラニックの時に走った見覚えある道だ。
夜中9時過ぎ、名古屋城公園、お城がライトアップされていた。

幅下橋の所も分らなかったな~。
丁度、宴会の帰りだろうか、気持ちよく酔ったサラリーマンに訪ねてみたら、丁寧に教えてくれた。

国道22号線に出た。
しかし、ここまで道が分らなく多くの人に尋ねながらの道程だった、こんなんで大丈夫かな~。
これから真夜中だし。

しかし、国道22号線沿いからは、ほとんど道沿い、コースマップの目印を追いかけながらの走りだ。
一宮を走っていると左側にとても大きなマンションがあった。
歩道も広く整備されている。
一宮駅前には真夜中、酔っ払いが駅前でたむろしている。


金園町のコンビニで休憩、ビールにカップ麺。
仮眠しようとしたが、眠れない、先を急ぐことにする。

岐阜北部で夜があけ、走りもその頃には歩きになっていた。

美濃・郡上八幡、
円空のふるさと「美並」

走りも歩きに代わって、景色を眺めながらゆっくり歩いていると円空彫りの作業場の横を通りかかった。


色々なお話を聴かせていただき、写真も撮らせていただいた。
帰って来てネットで調べた
http://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/2011/shinsai/shinsai20110504_2.shtml
世の中には様々な人がいる。


石川・岐阜の県境にそびえる白山は、日本三大霊山の一つである。
白山は、平安から鎌倉時代にかけて山岳信仰として栄えた。
郡上街道は白山に至る岐阜県側の主要な道で多くの修験者が通った道である。


美濃白鳥駅に着くころには、5月2日の真夜中。
疲労困憊の中だった。
地図では民宿てんごの方を記しているのだが、今回はそっち方面には行かず先を急ぐことにした。
民宿さとを見て、交差点を右折した。

白鳥町・白鳥町商工会館先の交差点を間違え左に行ってしまう。
後戻りし右の道へ進む、ところが正ヶ洞の所でまた分らなくなる。
あたりは真っ暗。
配達の仕事の人が丁度いて道を尋ねた。
コンビニにたどり着き、温かい物を食べた。

これから先、ひるがの高原までコンビニはないそうだ。
コースマップには、そんな事まで丁寧に書いてある。


大日岳道の駅、に着いた、四駆に乗っていた人に写真を撮ってもらった。

ひるがの分水嶺に着く


ココから流れる水は、南に流れれば長良川を経て太平洋へ
北に流れれば荘川を経て日本海に流れていくのである。

人の人生も、今ココに暮らしているのも、なにか運命を感じるのである。
今、自分がこの道を走るのも。

ココからは下りがおもだろう。
しかし、足の裏はもう限界にきている。
暑い熱い、まだ道路横に残っている雪で、その足を冷やした。


ココで141㎞
御手洗川沿いを下っていくと、荘川であいの森案内板が、荘川町 日本一の五連水車の看板があった。
ようこそそばの里荘川へ
の看板があった。

147㎞を過ぎ、よいよ御母衣湖に、148㎞
御母衣ダム湖のトンネルを走る、佐久間ダムのトンネルを想像していただけに、そんなには狭くはないと感じた。
しかし、観光客だろうか、車が多い。
危ない。

しばらく御母衣湖を下ると「ドライブインみぼろ湖」があった。

観光案内のテントの女性と話をした。
静岡県の佐久間町(佐久間ダム下の町)から来たことも話した。
荘川町も高山市と合併した。
その合併を機に、荘川町の役場の職員も町に出ていった人が多いと言っていた。
荘川町には温泉があるそうだ。
しかし、荘川町時代に多くの施設を作り、これからの維持が大変だとも言っていた。
ココのドライブインも、その一つだろうか。


日本一大きな市「高山市」そこに合併した「荘川町」
二番目に大きな市「浜松市」そこに合併した「佐久間町」

しかし浜松市は政令指定都市になった。
佐久間町での問題は、政令指定都市の中の中山間地だから、そこに暮らす人々はこれからの地域に不安を感じづにはいられない。

「荘川桜」まで残り1㎞
御母衣ダム建設当時、ダム建設で多くの荘川村の人が翻弄された日本のエネルギー問題。
ダム建設で移転になる人、何とか免れて村に残った人。

私が住む、佐久間町も同じだっただろう。

あれから半世紀以上たった今、日本の暮らしは豊かになり人の心も変わっていった。

平成27年5月3日午前10時
佐久間町が合併したとき知り合った、走る仲間から教えてもらった
荘川桜、今回、
ようやく、本物の「荘川桜」にたどり着くことが出来た。

次回につづく。

ps
動画です。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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