平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
山登りも苦しい時があり、感動するときがある。
テントで朝の三時半には起きた。
寒い。
外に出てテントを触ると凍っていた。
用を足し、着換えをして、相棒のテントに行った。
まだ暗い中、テント場から聖山頂にアタックをかけた。
明かりを頼りに、分岐の向かった。
富士山が見えるところで、富士山側から朝日が昇った。
小聖岳には昨日出合った73歳の二人組がいた。
「お先に」と先を急いだ。
ガレ場を登る。ハイマツが斜面に沿って這うように生えている。
雨風に冬の寒さにも耐え生きてきたハエマツたちが聖岳の斜面に群生している。
3013m
聖岳山頂に登頂した。
360度のパノラマは素晴らしい。
遠くに下栗の村が見える。日本のチロルだ。
そこから「しらびそ高原」に向かう道路を北に向かうと「しらびそ高原天の川」のホテルの赤い屋根が見える。
若いときトドさんのサポートで走ったコースを思い出す。
奥聖岳に行こうか。止めようか。せっかくだから行こう。
そこに三角点があった。東側には富士山、相棒に測量の話を聞いた。
奥聖岳から帰って、聖岳山頂に、73歳の人が双眼鏡で飯田の街並みを覗いて
「私の家が見える」
と
言っていた。
自分の家から見える。聖岳を登った。いつも見ていた聖岳を、聖岳から見た身分の家、その人は何を感じたんだろうか。
私たちは、登頂記念にと、山頂にてワインでカンパイをした。その人に写真を撮ってもらった。
下山
テント場に行きテントをたたんだ。遅い朝食を食べた。
重いリックをかついで、分岐を目指した。
そこから、あの急登だった、あの道を下った。下りは楽なはずが、足が重い。
肩のベルトが食い込む。
ゴンドラのところにヤット着いた。
あの73歳の二人組がいた。
ココから林道歩き、歩いていると、後方から誰かくる。振り向くと一人の女性が軽装で歩いていた。
「トレランですか」
と、私は訪ねた。彼女はニコッと微笑んだ。
「聖往復?」と聞くと。
「易老渡からグルット一周してきた」と言って私を後にして颯爽と走って行った。
後ろ姿が眩しかった。
相棒に訊くと、どこか避難小屋に泊まったのではと言っていた。
便ヶ島の山小屋で、飲み物を買う。その人に、その女性の話をした。
「その子は一日で、そのコースを走っている」
山小屋の主人も知っている人だそうだ。
振り返れば、今回の登山、多くの単独の女性の登山客がいた。
歩き始め、ゲイト前で出会った人、分岐から聖岳に向かうとき下山してきた女性も単独だった。
山でもマラニックでも女性は強い。
山でもマラニックでも女性は強い。
ココでハンドライトを出した。ココから林道歩きだ。
途中から真っ暗闇のなかをライトの灯りをたよりに歩いた。
渋沢ゲートの駐車場を越え、ダム下の駐車場に着いた。私の愛車が待っていた。
渋沢ゲートの駐車場を越え、ダム下の駐車場に着いた。私の愛車が待っていた。
今回の聖岳の登山、私にとって良い思い出になった。
相棒の撮ってもらった写真をユーチューブに残しました。
友さん
ありがとうございました(^O^)/
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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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