たつやま凸凹マラニック
旧龍山村を走ろうとコースを考えた。龍山村にはラドン温泉がある、そこをスタート・ゴールにしよう。今から六年前の話。
やすらぎの湯→青谷ポケットパーク(トイレ)→不動の滝→寺尾地区(トイレ)→ドラゴンママ(トイレ)→上平山→下平山(トイレ)→やすらぎの湯(約37㎞)
第一回目、2012年の春には寺尾集落に観光トイレがあり使用できた。
ところが次の冬、観光トイレは使用できないようにカギをかけられていた。何故。
多くの人に聴いた、どうしてだろうか、と。
そのとき、北遠のアッチコッチを廻っていた自分は、観光トイレな無くなって行ったのを見てきた。
佐久間町平沢の観光トイレ
水窪町河内浦の観光トイレ
また、寺尾集落のように普段は使えないようにしているトイレ
佐久間町伝承館のトイレ
佐久間町城西茶の子のトイレ
お店が営業しているときは使用できるが休みの時は使用できないようにしている。
当時、浜松市の議員をしている人に相談してみて、寺尾集落の区長と元龍山村の村長に相談してみたら?との話で、そのお宅に訪問した。
区長の話だと
「今、そのトイレは区の管理であり自分の一存では決められない」
元村長の家を聴き、寺尾から走って下ってきて、そのお宅を訪問した。
清楚な奥さんが元村長である、その人に私が来たことを伝えた。
そして、その人と出会っての第一声が
「あの合併は間違いではなかった」
だった。
わたしは、そんな話をしに来たのではない。
観光トイレや やすらぎの湯の駐車場に植えた荘川桜の話を聴きたかった。
しかし、村長という立場で様々な格闘があっっただろう、頑として出てきた言葉
「あの合併は間違いではなかった」
だけを話していた。
今、龍山町は崖崩れが頻繁に起きている。旧龍山村での存続は無理だったのかもしれない。
「あの合併は間違いではなかった」
合併して、よかったのかもしれない。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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