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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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私が暮らしている「半場」その地域に山があり。
その山に、昔、カミナリが落ち、火事になったという話がある。
私がまだ幼かった頃。私がまだ「横吹」に暮らしていた頃の話だ。
地域の消防団が出動していたそうだ。
「家のトーチャーも出動した」
(トーチャー父親のこと)
「上野」に住む同級生が話していた。
目の前にある戸口山の横の山だと指差した。

友さんとウッチャンと三人で戸口山に登った。
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど「希望」のピークが見つからなかった。
「健康」戸口山山頂1026mは高い木があり眺望は無かった。
そこから下って次の「叡智」そこは鉄塔が経っていて佐久間方面が綺麗に見えた。
そこから下って、少し上がったところに「半場山」があった。
大きな木が、大きかった木が、焼け落ちた姿だろうか?
中身のない空洞の木だった。
その横に、祠があった。その祠にはハート形が逆さになっていた。

次の日曜日
本当は、遠山郷に行こうと思っていたが、自分の暮らしている自分の地域の山へ
登ろうと思っている。

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雑談しませんか?
そんなズームでの問いかけに様々な意見があった。
「話がまとまらないからテーマを絞った方がイイ」
などという意見が多かった。
私は、と言うと
「特にテーマを定めない雑談、そんな所に得る何かがあるように思う」
「雑談、良いのではないか」
そう思った。そう思って、今回百田尚樹の「雑談力」を買ってみた。そして読んでみて、今朝読み終わった。

百田尚樹はハゲ
その人が若かったころ若ハゲが気になり育毛剤を買った話には(笑)った。
ウンコを漏らした話、も爆笑・・・。
知り合いの本好きな人に(女性)に聞いたら。
「私も漏らしてパンツ捨てたことがあります(笑)」
衝撃な告白(笑)(笑)(笑)

私は横吹(よこぶき)という斜面集落で育った。
国鉄(今はJR)飯田線の相月駅から見上げる斜面集落「横吹」に通っていたのだ。
子供の足で歩いて1時間ぐらいかかっただろうか。
小学生の頃、その帰り道、便意を感じ無性にひりたくなった。冷や汗が出た。
その頃、子供の間で、
「そんな時には平らな石を三つズボンの後ろのポケットに入れればイイ」
そんな伝説があった。
中間地点にさしかかた頃だろうか。石を探してポケットに入れた。少し楽になった、ような気がした。
が、ヤッパリでそうだ。家がみえ、庭につき、力も尽きて、ウンコが出た。
そんな失敗がある。
母親が、そんな私の話を聞いて
「バカだナ~。道端でやればいいのに」
「ふくもんが無い」
母親
「葉っぱでふけばイイ。ツルツルしたのはダメだよ。オバコの葉っぱがイイ。」
と教えてくれた。

話しは脱線した。話は本の話し。
百田直樹の知識は凄い。面白い話から話題は歴史上の人物の様々な話、ノーベル賞をもらえるはずだった人が他の人に乗っ取られたことや、日本の常識が他の国では、そんなことは知らなかったり。
とにかく日本人はテレビ新聞に影響されやすい。今はネットでテレビでは言えないことが記載されている。
それを見て自分で判断する時代だと。思った。

百田尚樹と言えば、右翼っぽい。とか。
最後は南京大虐殺・慰安婦問題・靖国神社参拝の話があった。
日本人として、日本の国の問題を、正確に考えない、今が良ければイイのでは、そんな人が多い。
と、私は思った。

この本を読み終わって、表紙を見て。
百田尚樹の顔を見て。
ツルツルの頭を見て。
「人生生涯小僧のこころ」を書いた
塩沼亮潤大阿闍梨の顔を思い出した。

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ベランダを造っている。
去年からコロナが猛威を振るっているから外出ができない日々、如何しよう。
そこでドローンを買った。家でのDIYが始まった。
8月の終わり。友さんと山から丸太を運び、ベランダを造りだした。
不格好だが、自分なりに頑張った。自分で自分を褒めてやりたいと思った。
が、ヤッパリ不格好、だ。

今日、職場の近くの、元中小企業の社長さんが、私の、そのベランダを見に来た。
すご~っく褒めてくれた。
褒められすぎ、コッチが恥ずかしいくらいだ。
褒められるということは、なんだかうれしい、気分。。。
この丸太がイイ。この木が味があってイイ。センスあるな~~。。。
そして
ここんところ、こうんな感じにした方がイイんでは?
わたしは、そうか~ココんとこを直そう。
そう思った。

後から考えてみると、
人を使う、上手な言葉かけだと考える。
8分褒めて、2分指摘する。
だけど、その人は、意図的に、そういう言葉かけをしているのではないと思う。
話をしていて、今までの経験から、そのようになってきたのだと思う。

それにしても私は調子に乗りやすい。
褒められて、一生懸命にやり始めた。
あの人に褒められたい一心で。

それは、どんな事でも、そうではないかと考える。
言葉がある。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。


昔、神奈川県の知り合いから。こんな言葉が送られてきた。
そして
その言葉には続きがあります。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
と。

その人の名はトドさん
私は、そのコメントを見て泣いた

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私の荒んだ心、そんな私にメールが来た。
松井秀喜「不動心」読んでみたら。
気持ちが楽になるよ♪
早速買って読んだ。
大リーグ、アメリカで骨折、そんな時に書いた本だ。
挫折、様々な挫折を繰り返し今がある。
成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越えること。
強く動じない心。
『不動心』

人生における幸不幸は予測しがたいということ。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
我が人生を振り返っても、様々な事があった。
その結果が今にあるのだ。
前に進むしかない。そのうちきっと
「この道で良かった」
と思える日が来る。そのように思えるように今を生きるのだ。

応援してくれる人がいる。
今は違う考えだけど、キット分かってくれる時が来る。
そう信じて今を生きる。

エッチャンからのハガキを読み直した。
有り難い事です。
感謝!!

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一匹のタイ焼きの、一生を歌った歌、およげたいやきくん。
毎日の当たり前の生活、転機が訪れる。
見たこともない大海原に飛び込んでいく。

毎日毎日楽しいことがある。
しかし
怖いこともある。
でも
大きな世界に飛び込んで、たいやきくんは楽しく暮らした。
ところが、エビを食べ、釣りあげられ、
見知らぬおじさんに食べられた。
やっぱり ぼくは タイヤキさ。
少し焦げあるタイ焼きだったのだ!

およげ!たいやきくん。
その歌は
1975年にフジテレビの子供向けの番組『ひらけ!ポンキッキ』から流行った曲だ。
当時若かった私は毎日毎日の仕事に明け暮れていた。
そんなとき、ハング・グライダーを知った。
大空を飛ぶのは楽しかった。
そして
そんなことをヤメ、佐久間に帰ってきた。
走り始めた。
小笠掛川マラソンを走って帰ってきて、家で一人昼間から缶ビールを飲んでいたとき、電話が鳴った。
ハング・グライダーの昔の仲間からだった。
「謙さん、死んだ」


およげ!たいやきくん。
その歌には、タイ焼きの真理が書いてある。
タイ焼きは、何のために生まれたのかと。
タイ焼き屋の店主は、タイ焼きを買ってもらい、お客さんに食べてもらいたい。
タイ焼き屋の店主(店のオジサン)はいうなれば神的存在だ。
タイ焼きは最後、おじさんに食べられる。
始まりがあれば、最後がある。

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「自然栽培」革命で日本は世界一になる。
「奇跡のリンゴ」を作った男、木村秋則氏
「ローマ法王に米を食べさせた男」高野誠鮮氏
そんな二人の、お話だった。

浜松市、そこは12市町村が合併して日本で二番目に広い市となった。
そこは政令指定都市浜松市になり、これからの山間部の生活に悲観し山を去っていく人が増えた。
段々畑がある。
私達の親世代、その親世代が、先祖の人たちが、石を積み上げ築き上げた畑を蘇らせるには
やはり
木村秋則氏が言う
「自然栽培」
これが最高に良いのではないかと思う。

「奇跡のリンゴ」を作った男、木村秋則氏
「ローマ法王に米を食べさせた男」高野誠鮮氏
二人の考え方は、過疎の村に希望を与えている。

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昨日はズームを使っての遠隔勉強会に参加した。
高校二年生、ある青年が「大学って如何していくのですか?」そんな問いに
多くの大人の人たちが、その青年の話に耳を向けた。

10名ぐらいだろうか
各グループに分かれディスカッション、大学を中退した人の話があった。
私は、高校も出ていなく、社会人になり通信教育のNHK学園に通った。
リーダーから、
「通信教育を終わってから大学に行く、そんな選択は考えませんでしたか?」
考えた。
そう言えば、NHK学園社会福祉学科
そんなのに通った覚えがある。
名古屋の大学に行き、斜めになっている教室で先生の講義を聞いた覚えがある。
今考えると、講義内容より、休み時間タバコを吸う学生の姿が気になった。

ディスカッションでは学歴社会の話が盛り上がった。
アメリカではナンバープレートに出身大学が書いてあるとか。
皆行っているのだから、大学には行くべきだ。

私の考えも言ってみた。
教育に御金がかかりすぎる。
20歳、成人、そんな年齢になっても子どものためだと親は御金をかける。
また
それを商売にしている人がいる。
そんなとき、ある人が
「大学は合格したら入学金を払わなければいけない」
その言葉に反応した人が多かった。

参加者の一人に、成人式前の働いていない青年がいた。
「ひろゆきの動画にハマって、働かない選択もあるのかナ~」
との話があった。
私はスマホでヒロユキで検索をした。
様々な意見があった。
割れ物に触るような。

二時間の時間が、あっという間に過ぎた。
何時も9時には寝る私には着いていけなくなり、アンケートを書いて退室した。
まだまだ居残り組がいるようだ。
違う世界に飛び込んだ
自分
まだまだ分らないことが多い。インターネット
YouTubeのライブ発信の事が知りたかったけど、恥ずかしく聞くことができなかった。

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今、コロナ禍、人との巡りあいはリアルでもネットでもある時代になってきた。
私の地域でもネットで知り合って結婚した人の話もある。
何故巡りあうのか、私たちは知らない。
人との巡りあい、それは行動することだ。何もしなかったら何も起こらない。

夏休み、私は上野村に行こうとした。そして新潟県燕市、石川県能登の昔の友に会いに行こうと計画していた。
ところがコロナ禍・緊急事態宣言、断念した。

上野村は、1985年(昭和60年)日本航空123便墜落事故があった御巣鷹山の登山口にある人口1000数人の村だ。
その当時の村長の適切な対応の話が出口治明さんの本に紹介されていた。
その本を見て、昭和60年、自分が結婚した年を思い浮かべ、その年の事故の追悼のために一人追悼登山を考えていた。
ところが、登山口に向かう林道が崩落で登山できない状況だとの話だった。
上野村だけでも行こう、そう思ったがコロナ禍
断念した。

何故巡りあうのか、私たちは知らない。
人との巡りあいはリアルでもネットでもある時代になってきた。
コロナ禍・緊急事態宣言
日本は強制的な制限をしていない。
感染のリスクが無いよう自分なりに注意して近場の、我が地域と同じ過疎の村にでかけようと思っている。
目的は、ある。

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平成元年生まれの子供達の物語、だった。
時代は進み、そんな時代に生まれた男女。少年少女の頃、の出逢い。
お互い恋をしたり、結婚をしたり。
様々な出会いがあり、すれ違いがあり。
最後、
時代は平成を過ぎ令和の時代になった。
そして二人は、再会する。
二人は30歳になっていた。

平成元年生まれと言えば、ゆとり教育で育った時代の子どもたちだ。
私の子どもも、そんな時代に育った。
学校に、これからの教育についての話し合いで呼び出された。
土曜日半日の授業が無くなる。
子どもも先生も、ゆとりをもって教育を受けたり教えたり。
そんなことを言っているのか、と漠然に思った。

それぞれの時代があり、それぞれの考え方があり。それぞれの生き方がある。
偶然に授かった命、ゆとり世代に育った人たち、その人たちが日本の未来をつくっていく。
昭和35年生れ、そんな私に昨日メッセージが来た。
同世代位の人からだ、それぞれの考えがある。

映画「糸」を観た。
平成元年生まれの子供達の物語、だった。
何故巡りあうのか、私たちは知らない。

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衣食足りて礼節を知る。
そんな言葉がある。
「人は生活が豊かになると、礼儀や節度をわきまえる余裕が出てくる」という意味のことわざ。

「戦争の時は大変だった」
母親から聞いた話だ。
大変・大変・大変・大変
子供の頃、その大変がわからなかった。

「上見て暮らすな、下見て暮らせ」
横吹で、斜面集落を、母親の背中を見て登っているとき聞いた言葉だ。
父が死に、母が死んで、今に至る。

衣食足りて礼節を知る。
そんな言葉がある。
「人は生活が豊かになると、礼儀や節度をわきまえる余裕が出てくる」という意味のことわざだ。
人は豊かになり、着る物も食べるものも満足できるようになっても、もっと豊かになりたいと思うもの。
しかし
礼節を節度をわきまえなければならない。
足るを知らなければならないと思う。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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