北遠駅伝とは?
15年前、合併して日本で二番目に大きくなった浜松市の北の果ての駅伝大会だ。
浜松市の南、広大な遠州、北遠とは北の遠州という意味ではないだろうか。
とにかく、その駅伝は68回目を迎えた。私の産まれた8年前に始まった大会だという。
1952年(昭和27年)北遠駅伝は始まった。
昭和・平成、そして令和の時代も北遠駅伝大会は続いている。
私は1988年(昭和63年)に北遠駅伝に初めて参加している。そして二区を走っている。西浦から池島まで、三遠南信「草木トンネル」の工事で水窪町は賑わっていた。
そして1992年(平成4年)のときも北遠駅伝に参加して、40回記念大会ということで参加賞として腕時計を頂いたことを記憶している。
時代という流れ。
北遠駅伝大会も、私が始めて走った時と比べ変わってきた。
が、今年も、その北遠駅伝で走ることができた。走る仲間の流れに加わることができた。
今回の北遠駅伝のメンバーに、北遠駅伝の始まった年が自分の誕生した年だという人がいた。
北遠駅伝を行った、北遠駅伝大会の重ねた回数が、自分の年齢だという人がいた。
時代は巡っている。世の中は変わっている。
が、しかし、変わらないように頑張っている人がいる。
自分の人生の中で、多くの人に出会ってきた。
出会い。
そして、その人に出会うことによって、その人に影響され、自分の人生が進んで行く。
昔、「横吹」で山の斜面で煙草をふかしながら、隣のアキチャンがハンググライダーをやらないかと話をした。
夢を語った。
そんな事、危ないし出来ない。即答した自分がいた。
しかし、アキチャンは横吹の斜面集落から見える眼下に舞うトンビを見ながら気持ちよさそうだと話した。
その目はキラキラしていた。
多くの人に出会い、自分が影響され今がある。
良い人もいれば、反抗したくなる人もいる。
時が経ち、その反抗した人の言葉が身に染みることもある。
過去があり今がある。
多くの出会いがあり、影響され人は生きていく。
出会いという言葉、出逢いと書く場合がある。
「出会い」と「出逢い」
「会う」と「逢う」
会う→たまたま人と出あう。
逢う→大切な1人の人物と対面すること。
そんな意味があるらしい。
昔、仇討ちがあったころ。
「ここで逢ったが100年目」
そんなときに使っていた漢字だという。
逢う。
過去があり今がある。
そして未来がある。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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