何年前だろうか、朝のランニング中にラン友から、友人の白血病の発病を知らされた。
同じようにランニングが趣味の、その友人が・・・・何故・・・そんなことを思っていた。
そんな時に私は「静岡県骨髄バンクを推進する会」の活動を知ったのだった。
そこで、わが子が白血病になり、兄弟4人いたけど兄弟からはその子に適合する骨髄が見つからなかった母親の話を聞いた。
NPO法人 骨髄バンク命のアサガオにいがた
http://inochinoasagao.org/
運峰さんのホームページで、リレー・フォー・ライフ芦屋の活動を知り、静岡でもこのリレー・フォー・ライフをやらないかな~と思っていた。
そんなときに、「静岡県骨髄バンクを推進する会」の事務局のひとから連絡が届いた。
リレー・フォー・ライフin静岡を御殿場陸上競技場で行うという話しだ。
2010年9月、私はリレー・フォー・ライフin静岡に参加した。
リレー・フォー・ライフin静岡 第一話
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/52/
リレー・フォー・ライフin静岡 第二話
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/53/
2010年2011年とこのリレー・フォー・ライフin静岡は御殿場陸上競技場で行ない私は参加した。
次の年は、ちょうど遠山郷の「チャレンジマラニックin遠山郷」と同じ日になったので参加できなかった。
今年はそのリレー・フォー・ライフは4月20日~21日に開催。
だが、私は4月21日は「チャレンジ富士五湖」を申し込んでいる。
20日に「チャレンジ富士五湖」に行く時に、開催場所である静岡県立大学に行き「静岡県骨髄バンクを推進する会」のブースによって前半だけでも骨髄バンクのフラッグを掲げグラウンドを周ろうと思っている。
「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2013静岡」とは↓
http://rfl-shizuoka.main.jp/
リレー・フォー・ライフ(命のリレー) ~いのちはつながっている~
もう4年前になるのか・・・夏の暑い日、いつもの様に朝ランをしていたら。
同じ朝ランをしている仲間が「○○さんが白血病になったみたいだ」と突然言われた。
私は訳も分からず・・・・・どうして、五月の連休に浜名湖のクォーターマラソンの時で会ったばかりなのに・・・そのマラソンでは自分より早かったのにっと思ったものだった。
白血病と言う病気は 私には聞きなれていなかった病気だった。
ネットで調べて骨髄バンクを知り、その年の冬 浜松の献血ルーム(みゅうず)に行って、「大きな病気にかかって人は骨髄バンクには登録できません」と言われたのだった。
その日の夜、ネットで見つけた「静岡県骨髄バンクを推進する会」のホームページ、その「骨髄バンクのタスキをかけてマラソン大会を走るボランティア募集」に目が止まり、その年の「ジュビロメモリアルマラソン」の時からその襷をかけ走るようになった。
今年も「静岡県骨髄バンクを推進する会」の年度初めの定期総会の日がやってきた。
この仲間に会えてから、私の生き方は少し変わってきたのだった。
今年も行ってきました。御殿場陸上競技場。
「リレー・フォー・ライフ 静岡2010with富士山」
に参加するため、車で佐久間を出発したのだ。
「リレー・フォー・ライフ 静岡2010with富士山」
のHPhttp://rfl4zuoka.web.fc2.com/index.html
今年は、長い間、C型肝炎で病院通いをしていた父親が、6月に肝臓がんでこの世を去り、私はルミナリエに思いを書いての参加したのだ。
去年は雨だったが、今年いい天気に恵まれ、夕方には、霧に隠れた富士山が、少しシルエットを見せた。
夕焼けも赤く燃え上がり、夕暮れを迎えルミナリエに明かりが灯り、とっても素敵な夜が始まった。
「骨髄バンクを推進する会」の事務局の○草さんが来て、夜歩くメンバーを決めた。
私は夜中12時から2時まで○井さん、○条さんとのメンバーの中に入っていた。
明日 車で帰らなければいけないので、9時には、駐車場の車に向い、寝ることにした。
だけど、なかなか寝付けれなかったな~。
車の中でゴロゴロしただけで、11時半には、会場に行く。
他の二人も来ていた、寝てなかったみたいだ。
12時、400mトラックに輝くルミナリエの中、二人で歩き始める。
観覧席には、HOFEの文字が灯っている。
夜の歩きには、気持ちいい。
2時ウォークを終え、車の中で行く。
朝方になり涼しくなって来て、少し眠れた、3時間くらい寝たかな~。
明け方起きてきて、せっかく来た、御殿場陸上競技場を走りに行った。
朝ランが趣味な私、何時もは廃校になった佐久間中学校のグランドにお世話になっている。
今日は御殿場陸上競技場の400mタータントラックを走る。
5時10分から6時10分まで一時間走った。
タータントラックは走りやすい、10年前の全国定時制通信制高校の陸上競技大会があった。
その時走った駒沢陸上競技場での1500m。
この時がタータントラックを初めて走った。
その日の記憶が蘇る。
夜明け。今年も富士山は顔を出さなかった。
シャワーを浴び、着替え、「骨髄バンクを推進する会」の人に挨拶をして、御殿場陸上競技場を後にした。
駐車場で、車と一緒に写真に納まる。
この車、ホンダのゼストで帰るとき、御殿場インターで富士山が、大きく顔を出していた。
今年で2回目の「リレー・フォー・ライフ 静岡」、私は「骨髄バンクを推進する会」の紹介で、参加するようになり、2回参加している。
佐久間の人間が、御殿場で開催されるリレー・フォー・ライフに出会い、参加した。
楽しい二日間、本当にありがとうございました(*^_^*)
去年の様子↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/53/
ps
このリレー・フォー・ライフを紹介してくれた「骨髄バンクを推進する会」この会との出会いは、またいつかブログで書こうと思います。
「静岡県骨髄バンクを推進する会」の4月の総会に行った時、貰って来た「命のアサガオ」の種。
今年は、二袋頂いて来て、開封してみたら、一つの袋の中には何もなく、もう一つの袋の中に3っつの種が入っていた。
その種をプランターに植え、3か月、大きくなって来た。
平成4年、丹後光祐君が小学校から貰って来た種の子供たち、今 佐久間にも花を咲かせようとしている。
命はつながっている。世代から世代へ。
しかし、一つ一つの命には限りがある。
限りがある命、自分なりの花を咲かせよう。
命のアサガオのホームページ
http://www.iplus.jp/~asagao/index.html
静岡県総合社会福祉会館(シズウエル)に行ってきた。
平成22年度 骨髄バンクを推進する会 総会に参加するためだ。
4年前走る友達が、白血病になり。
骨髄移植を知り。
浜松の献血センターに行き、登録を申し込んだところ「脳梗塞・脳出血の病歴をお持ちに方は、登録はできません」と断わられた。
家に帰ってインターネットで知った「骨髄バンクを推進する会」そのページで「骨髄バンクを推進する会のタスキを掛けて走る人募集」
それ以来、骨髄バンクを推進する会と お付き合いするようになった。
今年も、リレー・フォー・ライフが9月11日(土)13時~12日10時まで開催される。
佐久間町から御殿場陸上競技場まではチョット遠いけど、今年も行こうと思っている。
去年のように、夜中に骨髄バンクの横断幕を持って歩いた後、ルミナリェの中を夜明けまで走ってみたいと思っている。
夜中1時~夜が明けるまで。
どなたか一緒に走りませんか。
(去年のブログから)
リレー・フォー・ライフin静岡 第一話
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/52/
リレー・フォー・ライフin静岡 第二話
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/53/
第1674回「命をつなぐリレー」 「リレー・フォー・ライフ」という活動を知って、自分の乳癌を見つけ。
この活動に参加していたお陰で、胸も摘出せずにすんだというお話でした。
今は、日本対がん協会から声がかかり、「ほほえみ大使」に任命され、がん検診の啓発活動を行っている。
これからは恩返しです。
「リレー・フォー・ライフ」で教わった命をつなぐ大切さを、次の人達に伝えていきたいと思っています。 と、話していた。
私は、去年開催の「リレー・フォー・ライフin静岡」に初めて参加した。 兄を癌で亡くし、そんな兄を偲びながらの参加だった。
私は、今、そんな兄の歳になって行く。
何かの縁で、2月21日の、がんばらまいか佐久間の(第4回)まちづくり講演会で、佐久間に講師として来る(元飯田市議会議長)上沢義一氏の同級生 高橋さんっと会う約束をした。
高橋さんは、私の兄と佐久間中学校でクラブが同じだったそうだ。
リレー・フォー・ライフ 命はつながっているのかもしれない、例え死んでも、思いでだけはつながっている。
土曜日の朝、リレー・フォー・ライフin静岡に参加するために、中部天竜の駅を5時29分の、始発の列車に飛び乗った。
飯田線内で、切符を買ったら、4.680円、その時から約6時間の各駅停車の旅が始まった(*^^)v
昨日、同窓会打合せでのお酒が残っているのか、なんだか胸やけが・・・・気持ち悪り~。
飯田線から、東海道線に乗り換え、浜松へ、そこでも乗り換え、沼津で御殿場線に乗り換えて、30分電車に揺られ、御殿場駅へ、そこから11時30分初のシャトルバスで御殿場陸上競技場に着いたのであった。
グランド内を見渡してみたら、あったあった、骨髄バンクを推進する会の横断幕が、見慣れた顔触れも何人かいた。
そこで 「りレー・フォーライフの説明↓
リレー・フォー・ライフとは、1985年にアメリカ・ワシントン州シアトル郊外で、
アメリカ対がん協会のゴルディー・クラット医師が始めたイベントです。
マラソンが得意なクラット氏が大学の陸上競技場を24時間回り続けるなか、
友人たちは30分間だけ医師と一緒に回るごとに25ドルずつ寄付しました。
その結果、1日で2万7千$が集まりました。
参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、
友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。
24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。
単なる資金集めのイベントとしてではなく、地域社会全体でがんと闘うための連帯感を育む場として
リレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米4000カ所以上、世界20ヶ国以上で行われるように
なりました。
開催方法は様々だが、共通するプログラムとして「サバイバーズ・ラップ」(がんと闘う人たちの勇気を称え、
がん患者やがんを克服した人たちが歩く)、「ルミナリエ」(がんで亡くなった人たちを偲び、
一人ひとりの名前を記した紙袋の中にろうそくを灯して並べる)などがあります。
ほかにバンド演奏、ゲーム、バーベキューなど様々なイベントで盛り上がります。
私は、雲峰さんのホームページで、去年 兵庫県の「リレー・フォー・ライフ芦屋」を知りました。
雲峰さんのホームページhomepage2.nifty.com/marason-nouta/
遠いな~っと思っていて半年、骨髄バンクを推進する会の事務局の人から、今年 静岡でも開催するとの連絡を頂き、参加するしかないと、思ったのです。
祖父を肝臓癌で亡くし、兄も吐血で倒れ、搬送先の医師から余命の宣告、がん検診の啓発を願っての参加だった。
今日、初めての、「リレー・フォー・ライフin静岡」始まりは、地元 飛竜高校の太鼓の縁部など色々な催しなどが披露された。
太鼓の動画↓
picasaweb.google.co.jp/shinma49/QGsTRF
そして13時、サバイバーが御殿場陸上競技場の400mのタータントラックを歩き始めた。
夜中には、その雨もやみ、霧の中でのウォーキング、となった。
それもまた、幻想的で、素晴らしかったのではないだろうか。
骨髄バンクを推進する会では、夜、3人ずつの組になり、仮眠をとってい交代するようになった。
私は、堀○さんと古○さんで、12時から1時まで、のウォーク。
私は、それまでを、観覧席の隅で仮眠を取ることにした。
3時間ぐらい、寝れただろうか、観覧席から、会場の眺めも又 いいもんだ(^O^)
真夜中の御殿場陸上競技場を交代で回り、次のメンバーに後退して役目を終えた。
しかし、私が佐久間からココに来た目的はもう一つ、ジョギング。
今は亡き、兄を偲び 真夜中の1時35分、御殿場御殿場陸上競技場のトラックを、ゆっくり走り始めた。
輝くルミナリエの中、1時35分から5時35分まで走らせてもらった。
ミニFM局に 島袋さんのゴールへをリクエストしたり、写真を撮ったり、今生きていることを感謝し、走り続けた。
朝、夜明けには、富士山が顔を出すのではないかと、一縷の望みは届かなかったけど、行ってよかった、走って良かった、っと思った二日間だった。
、
私には、13歳年上の兄がいた。
転勤族で、東京都府中市・青森市・八戸市・山梨県甲府市と転勤を繰り返し、子供が大きくなったので、次の転勤先、埼玉には単身赴任での転勤だった。
13年前の夏、中部のお祭りの時。その兄が、転勤先で吐血し救急車で埼玉県内の病院に運ばれたと連絡が来た。
私の運転で、その病院まで行き、私の親は兄の担当医師に、末期の癌だと告知された。
2009年9月12日(土)から13日(日)にかけて「リレー・フォー・ライフ」を御殿場陸上競技場で行う。
リレー・フォー・ライフin静岡↓
http://rfl4zuoka.web.fc2.com/kaisai.htm
私は、中部天竜を5時29分の電車で出かけようと思っている。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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