9月3日は
母親が、お世話になっている特別養護老人ホーム「さくまの里」の草刈り・木々の剪定のボランティア活動。。。。
だった。
私は家族会の副会長として、会長の○堂さんをサポートしなければ、、、。
少し早めに施設に行き、入所している母親の顔を見に行こうと思ったが、会員はもうとっくに作業をしていた。。。。
佐久間時間だ。。。
早いうちに作業を進めておこうという人ばかりだった。
10時集合と書いてあったのに、9時30分には、みなさん作業を進めていた、のだった。
早く作業を始めたので、終わるのも早くなり、作業終了時の挨拶、会長の○堂さん
「暑い中・・・・・・・。」
私は近くで直立不動で聞いていた。
作業が済み、お食事会、そんな時に会長から
「私設の敬老会があるが、今年は家族会からも出席してほしい」と話が合った。
会長は用事がある。
と。
敬老会9月10日
スマホの予定を見ると、ちょうどその日は空いている。
「出席できるョ」
快諾した。
お食事会が終わり。
少し(酒)が入り。
入所している母親の部屋に行き、顔を見に行く。
あれから日が経ち
明日は、その特別養護老人ホーム「さくまの里」の敬老会。。。の日
敬老会とは、どんなことをやるのだろう???
仕事が終わり。
家に帰り。
サラリーマンのささやかな花金「はなの金曜日」
晩酌後の、ご飯を食べていると。
佐久間の里から電話
介護委員の人から、丁寧な言葉で、明日の話を、、、していただき、最後に。
「理事長の後、一言挨拶をお願いします」
さ~困った。
そもそも、自分は、如何して「さくまの里」の敬老会に出席するようになったのか?
この敬老会も、たしか、去年は家族会としては、参加しなかったはずだ。
早々
会長宅に電話した。
如何して家族会に出るよいうになったのか?
「家族会の会費から記念品が出ているので、家族会からも参加してほしいとの依頼があった」
そうだ。
その他、いろいろ聞いて、私なりに「一言」のあいさつ文を考えた。
明日の
特別養護老人ホーム「さくまの里」の敬老会には
酔っぱらた頭で自分なりに考えた、一言で臨もうと思う(^O^)/
頼まれごとは試されごと。。。
byしんしん
佐久間は合併する前に、佐久間病院を新しくし、ヘルストピヤセンター(地域福祉活動を支援するため設置)を作り、特別養護老人ホーム(さくまの里)も作った。
5年前の11月、私の母親はここ さくまの里 に入所した。
母親の病気は痴呆、ボケと言うやつだ。
夜も昼もなく、外に出て帰ってこれなくなってしまう。
父親が、私の寝ている部屋に来て「かちゃーがドッカニ行った」そんなことが度々あった。
近所の家の物置に入ったとか、前に住んでいた"よこぶき"に行ったとか、いろいろあった。
地域の人には、ずいぶんお世話になった。
今は さくまの里 で穏やかに暮らしている、母親86歳。
産まれ育った、この地の老人ホームで暮らしている。
佐久間病院・ヘルストピヤセンター・特別養護老人ホーム(さくまの里)、ほくえんの地域医療を考え作ってくれた先人の人に感謝。
部屋の前からは・・・・この景色↓
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled2.html
先日、6月28日(土)「さくまの里」の家族会奉仕作業の前に、役員で会合をした。
去年、会長の○村さんから、「副会長になってやい~!!」と言われ、承諾した私は"さくまの里"家族会の「便所でお尻を副会長」になったのだった。
今日は、その家族会総会の日だった。
副会長は、会長に比べ何もやることはない、役員名簿に名前が載るくらいだ。
会長の手助けをするのが、副会長の仕事。
6月28日の奉仕作業後の親睦会は「佐久間・水窪スーパーマラニック」の前日で前夜祭もあり参加できなかった。
10月3日(土)に庭木の手入れの奉仕作業がある、この時も終わってから親睦会がある。
この日は予定を入れないように、さくまの里の家族会の人と親睦を深めようと思って居る。
会長の○村さんにいつもご苦労様と一杯注ぐようにしよう。
母親が大変お世話になっている「さくまの里」協力できることは積極的に協力しよう。
隣の「なっちゃん」と、さくまの里へ母の顔を見に行った。
母は何も分からないだろ。
痴呆だから、自分の夫が亡くなった事も、今日来た人が横吹(よこぶき)のなっちゃんって事も。
母が元気だったころ話したことを思い出す。
年末の買い出しに、なっちゃんっと二人で、豊橋の市場に行ったそうだ。
二人でリックサックを背負って。
朝 夜明け前に横吹を出て、飯田線に乗って豊橋まで行ったそうだ。
帰り、重いリックを背負って横吹を登って行ったのであろう。
なっちゃんは、又登らなければ・・・っと言っている。
着替えの服からなにから、まだ持ってきたいものが有ると言っている。
母は横吹では、「ひさネイ」っと呼ばれていた。
今日は、母親がお世話になっている、特別養護老人ホーム さくまの里での、家族会の総会の日だ。
私は、去年から役員と言うことで、22年度の役員名簿に名前が記載されている。
家族会の始まる前に、理事長から、これからの佐久間での介護の在り方、進み方の方向性についてのお話が有った。
特別養護老人ホームの部屋が少人数化され、ユニットケアーが始まり。これからは小規模多機能型へと写って行くであろうとの話であった。
そのころの、佐久間での働く人の人口、介護を受ける人の人口を考えながら、その方向性に向っていくであろう。
家族会が終了し、家に帰って昼ご飯を食べ、再び さくまの里に行き、母親の所に面会に行った。
もう何も分からなくなった、母親の車椅子を押し、施設内を歩いた。
親戚の人に出会い、父親 祖父の話を聞いた。
特別養護老人ホーム さくまの里 介護員を始め、色々な人に母親はお世話になっている。
わがままな母親ですが、さくまの里のスタッフの皆さん、何時もありがとうございます<(_ _)>
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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