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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。

去年からこの大会に参加している。
それは、苦しいから楽しいから。
主催者の思いが、私に伝わってきたから。

豊橋市の石巻山の麓(スタート場所)に集まり集合写真。

9時半にスタートした。

ここのコースは、
最初、比較的平坦なところを走り、途中から激坂の登山マラソン。
山の尾根沿いのダートなコースを往復し、先ほど走った激坂を往復するという、厳しいコース設定だ。

スタート直後、去年と同じように、豊橋のスーパー御爺さん(中田さん)の背中を追いかけていく。

石巻山に上る激坂の道路の時は、天竜の小菅さんと一緒に走る、ところが旅館街に来るころには私のペースが落ち小菅さんはどんどん先に行ってしまった。

林道では一人旅、山間のコースは所々泥道があり、林が切れて豊橋の町が見えるところがあった、折り返し地点から戻ると知り合いが走ってきた。

旅館街に着き、激坂を軽快に下って行く。

押し返し地点での証拠写真。

かなりヘバッタ顔してる。

ここからが大変。
走っているのか歩いているのか・・・そんなスピード。
でも本人は歩かずに上っているつもり。
やっと石巻山「石山荘」に着いたのが11時04分。
今年の石巻山登山マラソンは1時間34分。

せっかく来たので、石巻山の山頂に登り記念写真。

石山荘に戻り、お風呂に入って・・・。
12時30分から走った仲間で懇親会だ。


ここの大会は、もともとは石原次郎さんが始めた大会だそうだ。
その次郎さんが、病気で亡くなり、動画であいさつをしている萩田さんが
「こんな素晴らしい大会を辞めてしまうのはもったいない」
と、今も続けているのだ。

懇親会では、石原次郎さんが呼びかけ人で行っていた時の思い出話をしている人がいた。

熱い人生を送っている仲間がいた。
 
夢を繋いでいく仲間たち(^^)

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毎年のことだが、来年からは駅伝がある、

1月に「佐久間駅伝」
2月に「北遠駅伝」と「梅花駅伝」がある。

去年からワラーチをはいて走るようになったのだが、駅伝は流石にランニングシューズで走らないと。。。

と思い。。買ったのだ。

「佐久間駅伝」は監督が申し込みをしてくれ、私は3区を走るようになっている。
「梅花駅伝」は昨日、私がネットで申し込んだ。
自分は二区を走るようにした。


「北遠駅伝」は、今のところ7名の走る人がいるので、後5名選手を探し、二チームだそうかと思っている。

駅伝は、チームのスポーツだ、そんなには早く走れないが、懸命に走って次の選手にタスキを渡す。

自分なりのベストの走りをしたい、走らなければいけない。

やっぱりワラーチでは走れない(^^;


PS
夏から、裸足ランニングをするようになった、秋からはワラーチで走るようにした。

この走り、来年の駅伝でシューズをはいての走りに良い影響が出るのではないかな~。

オジサンでも進化しているかも(^^)

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私の住んでいる町「佐久間町」には佐久間駅伝がある。
私が佐久間中学校の生徒だった頃(中学3年生)の時に始まった大会だ。
佐久間町には沢山の人がいて私の学年だけでも120人ほどの生徒がいた。
そのころは、走る事なぞ考えもしなかった。

そんな私が、結婚して佐久間に帰ってきて、職場の仲間に誘われて参加した佐久間駅伝、山の中の駅伝大会なのに沢山のチームが参加し にぎやかだった(当時100チーム以上)

佐久間駅伝の他に、会社がある水窪町の「北遠駅伝」にも参加した。
ここの駅伝は、水窪町内での応援すごかった。
水窪中学の学校の先生が走って西浦の奥から町内に来ると水窪中学の生徒が応援していた、それはそれは凄い応援だった(応援の人垣が出来て、応援者のすぐそばを走るのだ)。
私はいつも人気のない西浦から池島までの区間だったので、そんな応援の中を走ったことはないのだが、走り終わってから友達と見に行ってそんな光景に出くわしたのだ。

そんな ほくえんの駅伝大会「佐久間駅伝」は浜松市に合併になり予算が削られ、限定100チームになってしまった。
「北遠駅伝」は昔のようなにぎわいはなくなってしまっている。
ほくえんの駅伝、これからどうなっていくのだろう。

その答えを見つけに、今年初めて申し込んだ、南信州の天龍村で行っている「梅花駅伝」
天龍村は、大きくなった浜松市と隣り合わせの長野県にある。
佐久間や水窪と違うのは、どこの市町村とも合併をしないと単独での市政を貫くと決断した村なのである。
人口1000人ほどの村で、この梅花駅伝は参加チームを140チーム受け入れて運営している。
どのようにやっているのだろう???

 

 

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わがチーム「さくまRC」今年はメンバーがなかなか集まらなくて参加が危ぶまれたが・・・高校生の助っ人をお願いし、何とか参加できるようになる。

一区(高校生)二区(60歳)三区(35歳)四区(30歳)五区(私51歳)六区(高校生)

今年「第60回北遠駅伝大会」はこのメンバーで、走ったのだ。

成績は一区10位 二区六人に抜かれ16位 三区四人抜いて12位 四区二人に抜かれて14位 五区14位のまま 六区一人抜いて13位

総合順位32チーム中 13位

六区間26.4㎞ 1時間54分26秒で走ったのであった。

開会式の様子

写真は私の区間でのジョギングの時見た半鐘です。

六区でのタスキ渡し。

参加賞のTシャツ

記録票

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浜松市の最北端の町(水窪町)で行われる"北遠駅伝"今回は第60回大会で記念のTシャツが参加賞だそうだ。

40回大会の時は、たしかデジタルの腕時計だった気がする。

月日の流れを感じるな~。

この年になってもまだ、この駅伝に参加できることに・・・感謝!!(^^V

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秋葉ダム桜マラソンが、東日本大震災の影響で今年は自粛になった。

私は、携帯でほくえんに住むランナーに「脚気に走りませんか?」とメールしたら私を含め3人のランナーから走りましょう、と連絡が来た。

少し早めに、スタート場所になる秋葉ダムの公園に車で待ていると他にも今日走ろうという人が沢山来ていた。
IMG_0458.JPGIMG_0460.JPG





 

「今回、初マラソン、楽しみにしていたのだけれど・・・」
「桜も咲き、走りに来ました」

いろんな人がいた。

10時にスタートし、ゴール後には龍山の温泉により、家に帰って近所の人たちと花見をやった一日だった。
 

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今年の4月、「佐久間ランニングクラブ」のマネージャが、転勤になり佐久間を離れて行った。

そのころ私も、父の状態も悪くなり、忙しくなり「佐久間ランニングクラブ」の案内メールを出さなくなってきた。

今回、久しぶりにランニングクラブの案内メールを出してみた。

集まったランナーは4人。

「継続は力なり」

来週も案内メールを出し、「佐久間ランニングクラブ」続けて行こうと思っている。
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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